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    カテゴリ:ナショナルチーム > イタリア



    (出典 img.footballchannel.jp)



    「その時がきた。6月をもって引退する」。4月13日セリエA第32節・SPAL戦終了後、81分にピッチを後にしていたユヴェントスアンドレア・バルザーリは清々しく今シーズン限りでの現役引退を表明した。

     対人プレーに強く、高さがあり、鋭い読みで相手チームの攻撃の芽をつむことができる屈強なセンターバックフランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタ、ファビオ・カンナヴァーロといったイタリアが輩出した先人たちと比べるとネームバリューに欠けるものの、古き良き守備王国イタリアサッカーを体現し、3歳下の盟友、ジョルジョ・キエッリーニとともに、イタリアの面子を守ってきた。

     また一人、偉大なプレーヤーカルチョの世界を去る寂しさは拭えない。バルザーリと同じ1981年生まれであるズラタン・イブラヒモヴィッチダビド・ビジャイケル・カシージャスといった選手たちも現役を続けていることから、バルザーリもまだ続けられる道があるのではないかという思いもあるが、近年はケガとの戦いでもあった。本人が言うように“その時”がきたのだろう。

    ◆■セリエDから始まったキャリア

     バルザーリは、トスカーナ州のエトルリア人が築いた小さな町、フィエーゾレの生まれだ。187センチ、87キロの体躯は巨漢プレーヤーという表現がふさわしいが、若い時は痩せぎすな選手だったという。サッカーのために勉学に犠牲を払い、夜間学校に通いながらトッププレーヤーを目指した。デビュー17歳。しかし、その場所はセミプロ・カテゴリーのセリエD。プロとして飯は食えても、セリエAにたどり着くには先が見えない場所にいた。それでも、当時所属したクラブのロンディネッラ-小さなツバメ-という名前のように、ここから大空へ羽ばたいていくことになる。2000年にはセリエBのピストイエーゼに移籍。ここでジュゼッペ・ピッロン監督と出会い、ディフェンダーにコンバートする。

    「自分はセンターハーフの選手だと思っていたんだけれど、ピストイエーゼで6カ月プレーしていたときに、ピッロン監督にさらに後ろでプレーするようにと告げられんだ」

     対人プレーの強さにばかり目が行きがちであるが、右サイドバックとしてもプレーできることからも分かる通り、足元のプレーも非凡なものを持つ選手である。中盤の選手としてプレーしていたならどのような選手に育っていたのか、興味深いところだ。

    ◆■パレルモ移籍、W杯制覇、そして転機となった出会い

     その後、一旦はロンディネッラに戻り、そこからアスコリへ。22歳の2003年には、当時ミラクル疾風を巻き起こしていたキエーヴォに入団した。シーズン1年目にして29試合出場3ゴールの活躍を見せると、翌2004年にはシチリアの雄、パレルモに移籍し、その年の11月にはついにアッズーリでのデビューを飾る。そして、2006年、あのドイツワールドカップで優勝を経験。ベスト16のオーストラリア代表戦では56分から途中出場、準々決勝のウクライナ代表戦ではフル出場し、イタリアの4度目の世界制覇に貢献した。

     しかし、ワールドカップ後、バルザーリはベストコンディションになかったことを明かしている。「パレルモでの最後の2年間は、決して良いものではなかった。別人のようで、どこにでもいるような選手だった。一兵卒として戦ったワールドカップを経て、あのとき、ビッグクラブからのオファーを受け入れないことなどできなかった」と振り返る。ヴォルフスブルクへの移籍だ。ここでバルザーリのサッカー人生に大きな転機が訪れる。名将フェリックス・マガトとの出会いだ。

    「『君が悩み、トレーニングもうまくいっていない理由が分かるか? それは、自分自身がしていることに自信を持っていないからだ』と言われてね。それは事実だった。実際、70から80パーセントの力でトレーニングをしていたんだ。しかし、マガト監督に指摘されてからは、常に100パーセントトレーニングに臨んだ。決して、満足することはなかったよ。それからトレーニングの方法も変わってね。クオリティも飛躍した。妻にその頃よく『あなた、心ここにあらずって感じね』って言われたよ。サッカーのことしか考えていなかったんだ」。マガトに出会ったバルザーリは移籍1年目の08-09シーズンクラブ史上初のブンデスリーガ優勝の力となった。

    ◆■凡庸な選手からユヴェントスの選手へ

     2011年1月、冬の移籍市場でイタリアへの帰還を果たす。“イタリアの恋人”ユヴェントスへの移籍だ。このときの移籍金は30万ユーロ(約3800万円)。0が2つ少ないのではないかと目を疑いたくなるような数字だった。闘将アントニオ・コンテの指導の下、02-03シーズン以来となるセリエA優勝を目指していたチームにとってこれ以上ない破格の値段での補強となった。

     すぐに必要不可欠な選手となり、そこから7連覇を実現。今シーズンも前人未到の8連覇が決定的となっている。バルザーリは多くを語らない、ハードワークに徹したセンターバックだった。それゆえ、メディアへの露出度は低く、ピッチ外でのエピソードが明るみに出ることもなかった。

    「何よりもまず、謙虚でいることだ。それは、自分自身を信じるなということではない。しかし、謙虚でなければ、スタートから躓いている。たくさんの優れた選手を見てきたが、すでに成功したと思い込んでいる選手たちだった。大きな犠牲を払って偉大な選手になれる選手も中にはいる。自分はそんな偉大な選手の中には含まれないけれどね。けれども、自分は凡庸な選手からユヴェントスの選手へとなった」

     ユヴェントスは、チャンピオンズリーグ準々決勝でアヤックスに敗れ、96年以来の欧州奪還の夢は潰えた。それは、ベンチに控えていたバルザーリにとっての悲願でもあったはずだ。現役引退を表明し、選手としての欧州制覇は叶わぬ夢となった。

    「これからの数カ月、今後のことをじっくりと考えたい。自分が何に優れているのか、何に興味があるのか。素晴らしい熱狂をもたらしてくれるものを見つけなければならない」。引退後の去就については明言を避けているが、仮に指導者の道を歩むのであれば、これほどの適任者はいないだろう。真摯な彼の言葉の端々から、素晴らしい指導者になれる資質を持ち合わせている感じが見て取れる。選手として手が届かなかったビッグイヤーを、これからは指導者として目指す。そんな姿を想像することは、誰にとっても容易なものではないだろうか。

    文=佐藤徳和/Norikazu Sato

    昨季までにセリエA7連覇を達成したバルザーリ(中央)が、今季限りで現役を退く [写真]=Getty Images


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    Corriere della Sera』は19日、「ゼニト・サンクトペテルブルクの元イタリア代表MFクラウディオ・マルキージオは、イタリアは息苦しかったと話した」と報じた。

    昨年夏にユヴェントスとの契約が解除され、ロシアに渡ったマルキージオ。盟友ブッフォンとともにチームを離れた。

    彼は以下のように話し、イタリアでのサッカー選手の生活には全く自由がなかったと語ったそうだ。

    クラウディオ・マルキージオ

    ブッフォンは正しかったね。彼は僕に言ったんだ。『国外でのサッカーにおける生活がこれほどまでに違うと知っていたら、数年前に移籍していた』と。

    異なった人生を生きることになるんだ。イタリアでは欠けている自由のようなものを味わうのだ。

    選手のバスがスタジアムに到着する時、どうなるかわかるかい?あれがイタリアサッカー選手の生活そのものだ。どこに行くにも護衛がついて回る。そのおかしさに気づくこともなく。

    それとは違った自由を享受する生活をしてみて、初めてその奇妙さを実感するんだ」

    (古巣のユヴェントスにおけるクリスティアーノ・ロナウドの影響力をどう見る?)

    「トリノを離れる前、夏に彼と会ったんだ。彼の周りの全てが変わっていったよ。なぜなら、彼が他の選手のレベルを上げて、我々に多くの自尊心を与えたからだ。

    それでも、たとえ彼がチャンピオンであっても、どれだけ大きな存在であっても、勝利を確証してくれるわけじゃない。そうでなければ、ロナウドメッシがずっとチャンピオンズリーグを優勝していただろうさ。

    【関連記事】ユヴェントス、この夏に売却しうる5人のビッグネーム

    夢は粉々になった。予測もされていなかった。サッカーは科学ではないからね」
    もっと早く国外に出ていれば…マルキージオが感じた「異なる人生」


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 www.soccer-king.jp)



    ユヴェントスの元イタリア代表DFアンドレア・バルザーリが今季限りでの現役引退を表明した。

    クラブ公式によれば、こう述べたとのこと。

    アンドレア・バルザーリ(ユヴェントスDF)

    「選手である時に引退後のことを考えるのは難しい。

    だが、今季の怪我はそれを理解する手助けになった。

    6月で引退することを決めたよ。

    次にやることを考えようとしているところだ。

    サッカー界での様々なアイデアに惹かれている。決めるまで時間がかかるだろう」

    バルザーリは1981年まれの37歳。

    【関連記事】「長谷部も!ヴォルフスブルク、2008-09優勝メンバーはその後どうなった」

    ヴォルフスブルク在籍時には長谷部誠大久保嘉人とともにブンデスリーガ優勝を経験している。

    ユヴェントスDFバルザーリ、今季で現役引退 長谷部ともプレー


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 www.sanspo.com)



     2月25日に20歳の誕生日を迎えたジャンルイジ・ドンナルンマ。生ける伝説のジャンルイジ・ブッフォンの後継者として、イタリア代表のゴールマウスを守る姿はすっかりと板についてきた。ミランでも数々の記録を打ち立て、ベテランのような風格を醸し出し、スーパーセーブゴールを死守している。驚愕の20歳はこれまでどのような足跡を残してきたのか。幼少期から、これまでの記録を振り返りたい。

    ◆【1】ブッフォン2世の誕生

    1999年2月25日ナポリ近郊の海辺に面した風光明媚な街、カステッランマーレ・ディ・スタービアで生まれる。奇しくも、昨年限りでイタリア代表を退いたジャンルイジ・ブッフォンと同じ名前を持つが、世紀のGKに敬意を表して名付けられたもの。

    ◆【2】GK輩出の街

    元ユーヴェスタビアGKのおじ、エンリコ・アルファの勧めで地元クラブ、ASDクラブナポリサッカースタート。9歳上のアントニオ、現ローマのアントニオ・ミランテ、元ナポリのジェンナーロ・イエッツォ、元パルマアルフォンソ・デ・ルーカなど数々のプロGKを育てた名伯楽、エルネスト・フェッラーロGKコーチに指導を受ける。このうち、アントニオ、ミランテ、イエッツォはドンナルンマと同じカステッランマーレ・ディ・スタービアの出身。まさにGK輩出の街で育てられた。
    ASDクラブナポリの会長、チーロ・アモーレは、ドンナルンマの幼少期をこう振り返る。「常に2歳上の子ども達とプレーしていた。その中では、背が高いこともあって、年下だとは思われていなかった」

    ◆【3】ミラン移籍

    14歳の時、インテルの育成部門の責任者ロベルト・サマデンが直々にスカウトに訪れ、インテルへの移籍に迫った。ASDクラブナポリアモーレ会長とドンナルンマの両親がミラノに赴きサインをする。しかし、現代理人のミーノ・ライオラのいとこ、エンツォが当時のミラン副会長だったアドリアーノ・ガッリアーニに進言。「獲得の機会を逸してはならない」と話し、より具体的なオファーを提示したミランへの移籍が正式に決定することとなった。この時の移籍金が25万ユーロ(約3100万円)と言われている。

    ◆【4】飛び級と特例ベンチ入り

    入団してすぐはジョヴァニッシミ(U-15)に所属したが、アッリエーヴィ(U-17)、さらには、トップチーム直下のカテゴリー、プリマヴェーラへと瞬く間に飛び級を果たす。14-15シーズンには、フィリッポ・インザーギ監督の招集によりFIGC(イタリアサッカー連盟)特例の下(通例はセリエA出場は16歳以上)、15歳と11カ月でベンチ入り。16歳になるや否や、プロ契約を締結した。

    ◆【5】セリエAデビュー

    15-16シーズンを控えた15年夏にはトップチームに定着。メディアにも度々、持ち上げられ、大きな話題となる。この時すでに、1メートル96センチもの身長があった。そして、10月25日のサッスオーロ戦で、ディエゴロペスクリスティアン・アッビアーティを出し抜き、セリエA初出場。シニシャ・ミハイロヴィッチ監督によって先発メンバーに抜擢され、16歳と8か月と6日での出場は、トップリーグではミランのGKとしてジュゼッペ・サッキ(1942年10月25日16歳と7か月と24日でデビュー)に次いで2番目に若い年齢でのデビューとなった。父、アルフォンソはデビュー戦後に感極まって涙した息子について「ゴール裏を振り返り、同年代の仲間がボールボーイをしているのを見て、15日前は彼らと一緒だったんだと思い起こした」と語っている。そして翌年1月31日にはインテル戦にも出場。こちらはミラノ・ダービーに最も若い年齢で先発出場した選手と記録されている。

    ◆【6】GKとしてのイタリア代表最年少記録を樹立

    イタリア代表でも飛び級で招集がかかる。17歳と28日でU-21代表デビュー2016年3月24日に行われたU-21欧州選手権予選のセルビア代表戦に出場し、同代表最年少出場を記録した。そして、その161日後にはA代表でも出場を果たす。 9月1日フランス代表とのテストマッチブッフォンとの交代で途中出場し、GKとしての同代表最年少記録を樹立した。また、18歳31日での先発出場も記録となっている。ブッフォンの代表初出場が19歳の時だったことからも、ドンナルンマの凄さが改めて思い知らされる。

    ◆【7】史上最速でセリエA100試合出場

    3年目の昨シーズン4月15日ナポリ戦で早くもセリエA100試合出場を成し遂げた。19歳と49日での100試合出場は史上最も早い記録となった。ブッフォンは21歳と100日で達成していた。セリエA最多出場はパオロ・マルディーニの持つ647試合で、ブッフォンが続き640試合、3位はフランチェスコ・トッティの619試合となっている。ドンナルンマがこのままケガなく、セリエAプレーし続けることとなれば偉大な先人たちの記録を破ることも可能だ。

    ◆【8】セリエAイタリア人選手最高給

    2017年夏には契約更新を巡って退団の噂が強まり、サポーターからも懐疑的な目で見られる事態に発展したが、その後はミランへの忠誠心を示し事態は収束。2021年6月30日までの4年契約を結んでいる。その際に締結された年俸が600万ユーロ(約7億5000万円)というから驚きだ。セリエAの年俸ランキングではクリスティアーノ・ロナウドユヴェントス)の3100万ユーロ(約39億円)が他の追随を許さず1位に輝くが、2位のパウロ・ディバラ(ユヴェントス)の700万ユーロ(約8億8000万円)とは100万ユーロ差。昨シーズンまでチームメイトだったレオナルド・ボヌッチ(550万ユーロ=約6億9000万円)を上回りイタリア人選手としては堂々の1位となっている。これは敏腕代理人ニーノ・ライオラの功績と言えるだろう。

    ◆【9】1メートル96センチ

    身長はセリエAデビュー時の16歳ですでに196センチもあって世間を驚かせたが、現在のミラン公式サイトの身長も当時と変わらない高さとなっている。ブッフォンの身長が192センチであるが、横に並んだ際にドンナルンマの方がかなり高く見えることもあって、さらに身長が伸びている可能性もある。セリエAイタリア人選手としては最も高い身長だ。セリエAではローマロビン・オルセン(スウェーデン代表)が198センチで最も高く、これに続く身長となっている。

    ◆【10】160万人

    インスタグラムのフォロワー数は160万人。ミラン主将のアレッシオ・ロマニョーリが54万人ということからもその影響力の大きさが計り知れる。ちなみにブッフォン720万人超え。スポーツ界のみならず世界一インスタグラマーとなったC・ロナウドは1億2400万人と、こちらは群を抜いた数字となっている。

    文=佐藤徳和

    ドンナルンマが20歳の誕生日を迎えた [写真]=Getty Images


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 football-tribe.com)



     2019年はアッズーリにとって、捲土重来を期す一年だ。

     2018年FIFAワールドカップ出場を1958年大会以来、60年ぶりに逃し、イタリア国民は大会期間中の32日間を抜け殻のように過ごしながら、隣国フランスの優勝を傍観するしかなかった。

     昨年5月14日指揮官に任命されたロベルト・マンチーニ監督の下、初開催のUEFAネーションズリーグでは、ポルトガルポーランドと同組のグループ3で、1勝2分け1敗の2位。かろうじて、リーグAからBへの降格を逃れたものの、勝利はホームで挙げたポーランド戦のみ。クリスティアーノ・ビラーギフィオレンティーナ)が後半アディショナルタイムに奪ったゴールが決勝点となった薄氷の勝利だった。しかし、ワールドカップグループステージ敗退の醜態をさらしドイツリーグBへの降格を強いられたことを考えると、リーグAに踏みとどまれたことだけでもポジティブにとらえなければならないのかもしれない。イタリアと並び、ワールドカップ4度の優勝を誇るあの強国ドイツが、1勝も挙げられないまま降格してしまうのだから、一度躓いた者が再び立ち上がることがどれほど難しいことかと思い知らされる。

     イタリアは昨年、ルイージ・ディ・ビアージョ暫定監督の体制で3月に再スタートを切り、アルゼンチンイングランドとのテストマッチを経て(1分け1敗)、マンチーニを招へい。新体制では5月28 日のサウジアラビア戦を皮切りに、11月20日アメリカ戦まで9試合を戦い、3勝4分け2敗の成績に終わった。サウジアラビア戦を2-1で勝利した以外は、白星を得た6試合で最小得点にとどまった。ただ、そんな中でも光明は見えてきた。

     11月17日に行われたポルトガル戦(0-0)では、ユーロ2016王者を相手に66パーセントのポゼッションで圧倒。パスの成功数も相手の262に対して721と、技術力の高さを見せた。マニチーニが目指すスタイルが垣間見えた一戦だった。しかし、兎にも角にも決定力が物足りない。ポゼッションを高めることは比較的容易な作業なのだろうが、最後のフィニッシュ、得点力の向上はどのチームにとっても永遠の課題のようだ。昨年一年で11試合を戦い、総得点は9。しかも2得点以上をマークした選手が一人もいない。マンチーニがFWの選考に頭を抱えるのもうなずける内容だ。

     ポジション別に現在のアッズーリのレギュラー候補を見ていきたい。

    ◆■エース不在のCF。サイドアタッカーは人材豊富

     まずは、懸念されるストライカーポジション。17-18シーズンセリエAで得点王に輝いたチーロ・インモービレラツィオ)は、代表に限っては不振を極める。2017年9月5日イスラエル戦を最後に9試合で不発。今シーズンも所属クラブで11得点をマークしているのだから、コンディションではなくメンタル面に問題があるのかもしれない。となるとインモービレ以上に得点を挙げている選手を見なければならない。今シーズンセリエAで14得点を挙げているファビオ・クアリャレッラだ。第20節を終えてクリスティアーノ・ロナウドユヴェントス)、ドゥバン・サパタ(アタランタ)と並び堂々の得点ランキングトップに立つ。ただ、ネックとなるのが年齢だ。1月31日には36歳の誕生日を迎える。仮にユーロ2020に出場するとなると、その時は37歳。2022年ワールドカップ時には39歳となる。ワールドカップ出場については非現実的だ。マンチーニは招へいを検討していると聞くが、一筋縄でいかない選考となりそうだ。アンドレア・ベロッティ(トリノ)も一時の勢いを失っている。パトリック・クトローネミラン)やピエトロ・ペッレグリモナコ)といった将来を嘱望される選手も現れつつあるが、絶対的ストライカーの不在はしばらく続くことになりそうな課題だ。

     一方、サイドアタッカーや攻撃的MFの選手には豊富な人材が集まっている。サイドアタッカーでは、2人の“フェデリコ”がアッズーリにとって不可欠な存在となった。キエーザフィオレンティーナ)とベルナルデスキユヴェントス)だ。また、ステファン・エル・シャーラウィローマ)はミラン時代のベストフォームを取り戻しつつあり、マッテオ・ポリターノインテル)はビッグクラブへの移籍1年目でレギュラーポジションを自らのものとしている。ロレンツォ・インシーニェナポリ)はこのところ調子を落としているが、すぐに復調してくるはずだ。ただし、彼らもポジションが確約されたわけではない。2000年まれのモイーズ・キーンユヴェントス)がすでに2018年の最終戦、アメリカ戦でデビュー。最前線だけでなくウイングトップ下でもプレーできるこの有望株はユヴェントスでも徐々に出場機会を増やしつつあり、良い意味で代表に刺激をもたらすことができるだろう。

    ◆■激戦区

     中盤は、最も競争力が高いポジションと言える。ジョルジーニョチェルシー)、マルコ・ヴェラッティパリ・サンジェルマン)の海外組に加え、ニコロ・バレッラ(カリアリ)、ロレンツォ・ペッレグリーニローマ)といった若手も擁し、クオリティの高いメンバーで形成されている。さらに、ここに10代の有望株が割り込んでくることになりそうだ。稀代のレジスタアンドレア・ピルロと見紛うほどにプレースタイルが酷似するサンドロ・トナーリ(ブレシア)は、セリエBから異例の招集を受けた。18歳での代表入りは大きな話題を呼び、今夏の移籍市場でユヴェントスへの移籍が噂されている。

     そして今、イタリアで最大の発見と言われる選手が、ニコロ・ザニオーロローマ)だ。1月19日のトリノ戦で今シーズン2点目となるスーパーゴールを決めると、ロマニスタの間では19歳のトレクアルティスタ(トップ下)の話題で持ち切り。マンチーニは「アスリートとしての能力が高く、至るところに顔を出せる。ポール・ポグバマンチェスター・U)を彷彿とさせる」と称賛するほどだ。すでに代表入りも果たしており、早い時期にデビューが実現することになるに違いない。

    ◆■最終ラインは選手層に不安

     ディフェンス面はどうだろう。かつては「守備の国・イタリア」と畏敬の念を抱かれたが、近年はセンターバックの人材難に陥っている。ジョルジョ・キエッリーニレオナルド・ボヌッチユヴェントス組は言うまでもなく、アンタッチャブルコンビだ。そこにダニエレ・ルガーニ(ユーヴェ)とアレッシオ・ロマニョーリローマ)の2人がレギュラー候補として続くのだろうが、まだまだ怖さもなければ狡猾さにも欠ける。同世代のマッティア・カルダラミランに移籍後、ポジション確保に苦しみ、現在は負傷離脱中だ。そんな中、若手で勢いがあるのはアタランタの22歳、ジャンルカ・マンチーニだろう。高さ、強さ、速さの三拍子を揃えた1メートル90センチの長身DF。今シーズンリーグ戦で5得点。得点力の高さも大きな魅力の一つである。

     サイドバックもやはり、人材に物足りなさがある。ファーストチョイスは攻撃力が売りのアレッサンドロ・フロレンツィローマ)が右に入り、パワフルなビラーギが左、そして相手の攻撃力に応じて、左右をこなす守備力の高いマッティア・デ・シリオユヴェントス)が起用されることになりそうだが、競争力の低さが気がかりだ。長期負傷していたアンドレア・コンティミラン)が復帰したことは、マンチーニにとって朗報だろう。

    ◆■高水準の正守護神争い

     最後にイタリア代表で最多出場記録を誇るジャンルイジ・ブッフォンが退いたGKのポジションだ。ミランジャンルイジ・ドンナルンマが、これからもブッフォンの後継者としてアッズーリの歴史を作っていくことになるだろう。しかし、ライバルは数多く存在する。マッティア・ペリンユヴェントスで第2GKの座に甘んじるが、マッシミリアーノ・アッレグリ監督の信頼も厚く、代表レベルのGKであることに異論はないだろう。サルヴァトーレ・シリグ(トリノ)はパリ・サンジェルマン時代にリーグ・アンの最優秀GKに2度輝いた実力者だ。ほかにも、アレッシオ・クラーニョ(カリアリ)、エミル・アウデロサンプドリア)、シモーネ・スクフェット(カスムパシャ)、アレッサンドロ・プリッツァーリミラン)といった有望株が顔をそろえる。中でも注目はナポリアレックス・メレトだ。今シーズンは左腕の骨折で出遅れたものの、復帰後はコロンビア代表のダビド・オスピナギリシャ代表のオレスティス・カルネジスを隅に追いやり、レギュラーの座を奪取。ドンナルンマの存在を脅かすポテンシャルを備えるスーパーなGKであり、マンチーニ監督はこのポジションの選考に良い意味で頭を悩ませることになるだろう。

     2019年ユーロ予選がスタートする。イタリアは、グループJに入り、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、フィンランドギリシャアルメニアリヒテンシュタインと同組となった。ローマエディン・ジェコユヴェントスミラレム・ピアニッチが中心となるボスニア・ヘルツェゴヴィナが最大のライバルとなるだろうが、ローマコスタス・マノラスを擁するギリシャも侮れない相手だ。

     現在のところ、3月23日に行われるホーム(ウディネ)でのユーロ予選・フィンランド戦が2019年最初の試合と予定されている。アッズーリはこのグループトップで通過し、ユーロで好成績を残すことが当面の目標だ。けれども、やはりワールドカップの注目度はユーロのそれ以上で、ワールドカップの出場権を取り戻し、優勝を狙えるチームに仕上げることがマンチーニの使命になる。中盤やGKにはそれを狙えるだけの人材が揃いつつあり、そのほかのポジションでも有望な若手が台頭しはじめている。まず求められるのは、18位のFIFAランキングを少しでも上位に押し上げること。2018年ワールドカップ欧州予選では、FIFAランキングを落としたことが影響し、スペインと同組となったことが予選敗退という悲劇を招いた。今年はユーロ予選突破を最大の目標に置きながら、FIFAランキングの上昇も考慮して戦わなければならない。

    文=佐藤徳和

    2019年はイタリア代表にとって勝負の年となりそうだ [写真]=Getty Images


    (出典 news.nicovideo.jp)

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