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    カテゴリ:ナショナルチーム > アルゼンチン

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    昨年11月に現役を引退した元アルゼンチン代表MFのハビエル・マスチェラーノ氏(36)がアルゼンチンサッカー協会(AFA)入りすることになった。

    リーベル・プレートでプロキャリアをスタートし、リバプールバルセロナなどで活躍したマスチェラーノ氏。中国の河北華夏を経てエストゥディアンテスに加入し母国復帰を果たすも、昨年11月に現役引退を表明した。

    現役引退後に関しては即指導者転身の可能性も伝えられていたが、セカンドキャリアのスタートに選んだのは、アルゼンチン代表に関する仕事だ。

    AFAの発表によると、アルゼンチン代表としても最多147キャップを誇るマスチェラーノ氏は、A代表とユースカテゴリーの間で共通のプレースタイルとフィジカルアプローチを採り入れることを目的に設立される新しい方法論と開発部門のディレクター職に就くという。

    同職ではアルゼンチン代表独自のメソッド作りと共に、若手選手の発掘などを行うことになるようだ。

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 img.footballchannel.jp)



    ペレを抜いて1クラブでの史上最多得点記録634ゴールを記録したバルセロナFWリオネル・メッシ

    リーガやCLの舞台で何度も対戦してきたアトレティコ・マドリーGKヤン・オブラクが彼の凄さを語った。

    Sky Sports』のインタビューで「彼はいまも世界最高の選手。僕から多くのゴールを奪った。多過ぎるよ!ゴールへパスしただけと感じることもある。シュートでさえなくね」と語ったオブラク。メッシの凄さをこう解説した。

    ヤン・オブラク(アトレティコ・マドリーGK)

    「通常、GKは常にDFを助けるために叫ぶ(コーチング)。でも、相手にメッシがいる時は難しい。

    DFはベストを尽くすけれど、戦術的なことでメッシを止めるのは難しい。彼が何をやろうとしているのかは絶対に分からないからね。

    近づき過ぎると置き去りにされる。離れ過ぎるとシュートを打たれる。

    どう守るのかを決めるのは簡単じゃない。彼のプレーは予測不可能だからね。不可能だ」

    プレーの予測が簡単な選手もいる。メッシは予測不可能だ。

    オンザボールの彼が持っている(プレーの)可能性は他の選手にはない。

    彼がどこでシュートするのか、いつシュートするのかは絶対に予測できない。メッシについては、何ひとつとして予測ができない」

    「多くの場合、彼と対戦する時はこれが問題になる。

    2,3人のDFがボールを奪い行くと、彼は他の選手にパスを出して彼らはゴールを奪う。

    シュートに備えるだけじゃない。パスにも備える。全てに備える。

    シュートか?パスか?ドリブルか?もう一度言うけれど、(予測は)不可能だ」
    「(GKと1vs1になった時)こちらが低く構えると、彼はチップキック)をしてくる。こちらが立っていると彼は股を抜いてくる。

    こちらが右に行くと、彼は左にシュートする。左に行けば、右だ。

    だが、1vs1で最も大事なのは最後の最後まで待つこと。

    スピードアップしてはいけない。ボールを見て、待つ必要がある。そして、運もかなり必要になる(メッシはミスをしない)」

    「彼は僕の足を見ている。僕が一歩踏み出すと、彼はそれを見て逆側にシュートを打つ。

    これが彼が最高である理由さ。だから、彼は物凄く厄介なんだ。

    彼はそれを見せないけれど、常に見ている。常に相手を見ているんだ。

    彼の眼はボールに向いていても、相手を見ている。彼は全てを見ていると思う」

    メッシアトレティコの天敵であり、38試合で32ゴールを奪っている(それ以上に多く得点を奪っている相手はセビージャのみ)。実際、オブラクもメッシの餌食になってきた。

    【動画】これは最強GKオブラクでも無理!メッシの予測不可能シュートシーン

    プレーが全く予測できない点、そして、相手の動きを見逃さない“眼”に凄さがあると感じているようだ。

    「相手の足を見てる」 最強GKオブラクが教えるメッシの“凄さ”がおもしろい


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。

    今回は元アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナ氏がバルセロナ時代に決めたゴールだ。


    神業とも言える左足のテクニック、創造力溢れるプレー、誰にも止める事の出来ない突破力、抜群の決定力、その存在感は計り知れないものがあり、今後も永遠にサッカー界に語り継がれるスーパースターであろうマラドーナ氏。クラブではナポリでの活躍が目立つが、1982年から2年間バルセロナでもプレーした。

    バルセロナでも記憶に残るプレーを見せたマラドーナ氏だが、1982年12月5日に行われたラ・リーガ第14節のレアルソシエダ戦では、素晴らしいゴールを決めている。

    試合開始早々の5分、センターサークル内で相手からボールを奪ったMFベルント・シュスターが前線にボールを送ると、左サイドマラドーナボールが渡る。すると、独特のテンポのドリブルでボックス内に侵入し、ゴール左の位置からふわりとしたループシュートを放つ。意表を突くシュートは、GKの頭上を越えてゴール右に決まり、見事な先制点となった。

    このマラドーナゴールがこの試合唯一の得点となり、バルセロナが1-0で勝利している。

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 img.cinematoday.jp)



    サッカー選手としての才能は認めるが、薬物使用などスキャンダラスな面からディエゴ・マラドーナに眉をひそめるファンもいるようだ。しかし、そうしたファンはごく少数ではないだろうか。

    ましてアルゼンチンでは“神"として崇められている。母国でマラドーナが嫌いだという国民を見つけるのは至難の業に違いない。


    では、なぜマラドーナはこれほどまでアルゼンチン国民に(と同時に世界中のファンから)愛されるのか?

    W杯なら自国開催となった78年に初優勝している。FWマリオ・ケンペスはオランダとの決勝戦で延長に入り決勝ゴールを決めたし、大会の得点王とMVPにもなった。キャプテンのDFダニエル・パサレラは強いリーダーシップチームを牽引した。

    おそらく78年の優勝は、彼ら以外にも名選手が揃い、「チームとしての優勝」というイメージが強かったのではないだろうか。

    ところが86年メキシコW杯は、カルロス・ビラルド監督が「マラドーナチーム」を作り上げて優勝した。そうしたチーム作りにはアルゼンチン国内でも批判も多かったそうで、結果を出したことで試合後のスタジアムにはサポーターが「PERDON(ごめんね)BILARDO」の横断幕を掲げていた。

    そしてマラドーナに関して言えば、たった1人で、と言ったら語弊があるあるかもしれないが、1人の選手がチーム全体を掌握して世界の頂点に立ったことが、78年との決定的な違いだ。

    準々決勝のイングランド戦では「神の手」や「5人抜き」という後世に語り継がれるゴールも決めた。このため「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」として長く記憶されることになった。

    そしてこのイングランド戦は、マラドーナが“神"になった試合でもある。それには次のような伏線があった。

    両国がW杯で初めて対戦したのは62年のチリ大会で、このときはイングランドが3-1で勝利した。続く66年イングランド大会の準々決勝でも対戦したが(1-0)、アルゼンチンのたび重なるラフプレーに対し西ドイツの主審は、執拗に抗議するキャプテンのラティンに退場を命じた(当時はまだ退場という処分がルール化されていなかったために時間がかかった。これを機にFIFAは70年メキシコ大会からイエローカードレッドカードを採用することになる)。

    そしてイングランドアルフ・ラムゼー監督はアルゼンチンのラフプレーを「アニマル」と非難した。日本語に訳すなら「動物」ではなく「獣(けだもの)」に近いニュアンスだろう。

    時は流れアルゼンチンが前回優勝国としてW杯を迎えた82年の3月、アルゼンチンの沖合にあるイギリスフォークランド諸島(アルゼンチン名でマルビーナス諸島)の領有を巡り、両国は3ヶ月にわたって軍事衝突を繰り返した。

    紛争は両国にとどまらず、EC(欧州共同体)やNATO(北大西洋条約機構)も巻き込んだ結果、西ドイツフランススペインなどはアルゼンチンに経済制裁を科した。そして3ヶ月に及ぶ紛争はイギリスの勝利に終わった。

    この紛争でアルゼンチン側の死者は645人、負傷者1048人、そして捕虜は11313人にのぼった。アルゼンチン代表MFのオズワルド・アルディレス(後に清水の監督などを歴任)の義兄は戦死し、スパーズのFAカップ獲得に貢献したアルディレス自身もイングランドではプレーできなくなり、パリSGへのレンタル移籍を余儀なくされた。

    幸か不幸か82年スペインW杯で両国は2次リーグで敗退したため対戦することはなかった。

    そして86年メキシコW杯準々決勝である。アルゼンチンにとってW杯で3度目の対戦にして初めての勝利。それもマラドーナの「歴史に残る」2ゴールでのベスト4進出だったが、この勝利にはそれ以上の重みがあった。

    愛する領土を、肉親を奪ったイングランドを、1人の若者が叩きのめしたのだ。

    マラドーナが“神"になった瞬間でもあった。

    アルゼンチンには「マラドーナ教」があり、ブエノスアイレスには2000年に設立された「マラドニアン教会」があって、誕生日10月30日は「クリスマス」、神の手ゴールを決めた6月22日は「イースター」としてお祝いをするという。

    こうしたエピソードは09年に公開されたフランススペインの合作で、カンヌなど世界3大映画祭すべてを受賞しているエミール・クストリッツア監督のドキュメンタリー映画「マラドーナ」で紹介されていた。

    クストリッツア監督は旧ユーゴスラビアのサラエヴォ出身で、98年にはコソボ紛争が勃発してアメリカ主導により国連の決議なしにNATO軍の空爆で祖国の市民が犠牲になった。そんな2人が撮影を通じてシンパシーを抱くのも自然の成り行きだろう。

    狂信的なファンから“神"と崇められながらも、カモッラ(ナポリを拠点とするマフィア)との交際による薬物中毒や愛人とのスキャンダルなどで、幼なじみの妻クラウディア、最愛の娘ダルマジャンニーナとも別れなければならなかったマラドーナ

    その苦悩を映画「マラドーナ」と、来年6月に公開予定の映画「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」ではマラドーナ自身が赤裸々に告白している。

    自業自得とはいえ、絶えず等身大の自分自身をさらけ出してきたディエゴ。だからこそマラドーナファンにとって「身近な存在」として、“永遠のアイドル"になったのではないだろうか。

    死後のいま現在も彼の周辺は喧しいが、安らかな永遠の眠りにつくことを願いたい。

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 img.footballchannel.jp)



    代替テキスト
    2008年のカンヌ映画祭で(写真:ロイター/アフロ

    サッカー界の伝説、ディエゴ・マラドーナさんが先月死去したが、主治医が過失致死容疑で捜査を受ける事態となっている。

    マラドーナさんは硬膜下血腫の除去手術を受け、自宅療養中だった25日に心臓発作で亡くなった。主治医のレオポルド・ルケ医師は、マラドーナさんの自宅でのケアを怠ったとして責任を追及されているが、担当の看護師が新たな証言を行った。

    英紙The Sunによると、看護師のジゼラ・マドリードは代理人を通じて、「マラドーナ氏は亡くなる一週間前に自宅で転倒して頭を打ったにも関わらず、家族の誰にもMRIやCTを撮るために病院へ連れて行ってもらえなかった」と主張したという。「彼は何も決めることができなかったのです。転倒後は自室で3日間、誰にも助けられず1人で放置されていたのですから」と弁護士は付け加えている。

    予備的な検視報告書には、「急性肺水腫と慢性心不全により、睡眠中に死亡」とあった。当初の報道では、生きているマラドーナさんを最後に見たのは同居している甥で、一緒に朝食を摂ったとされていた。甥は親戚に「(叔父は)気分が悪い、と言ってベッドに戻って行った」と話していたという。しかし、捜査関係者によると、マラドーナ氏はこの日何も食べておらず、ベッドから起き上がってすらいなかったことがわかっている。また、彼の部屋には前日の夜に置かれたと見られるサンドイッチが手つかずで残されていたそう。

    ある夜勤の看護師は、マラドーナさんが亡くなった当日の朝6時30分頃には彼が生きていたと証言。しかし、後にそれが虚偽であったことを認めている。彼女がなぜ嘘をついたのか、誰かに強制されたのかどうかも含めてまだわかっていない。

    二転三転する関係者の証言に、英雄の死の謎は深まるばかりだ。



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【元アルゼンチン代表】マラドーナさんの死の謎深まる、担当看護師が新たな証言】の続きを読む

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