Football Select

サッカーの事についてまとめています。 日本サッカー(J1・J2 etc) 海外サッカー(プレミア・リーガ・セリエA・ブンデス etc) 掲載しています。 良かったら覗いてください。

    カテゴリ:海外リーグ > セリエA



    (出典 img.footballchannel.jp)



    「その時がきた。6月をもって引退する」。4月13日セリエA第32節・SPAL戦終了後、81分にピッチを後にしていたユヴェントスアンドレア・バルザーリは清々しく今シーズン限りでの現役引退を表明した。

     対人プレーに強く、高さがあり、鋭い読みで相手チームの攻撃の芽をつむことができる屈強なセンターバックフランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタ、ファビオ・カンナヴァーロといったイタリアが輩出した先人たちと比べるとネームバリューに欠けるものの、古き良き守備王国イタリアサッカーを体現し、3歳下の盟友、ジョルジョ・キエッリーニとともに、イタリアの面子を守ってきた。

     また一人、偉大なプレーヤーカルチョの世界を去る寂しさは拭えない。バルザーリと同じ1981年生まれであるズラタン・イブラヒモヴィッチダビド・ビジャイケル・カシージャスといった選手たちも現役を続けていることから、バルザーリもまだ続けられる道があるのではないかという思いもあるが、近年はケガとの戦いでもあった。本人が言うように“その時”がきたのだろう。

    ◆■セリエDから始まったキャリア

     バルザーリは、トスカーナ州のエトルリア人が築いた小さな町、フィエーゾレの生まれだ。187センチ、87キロの体躯は巨漢プレーヤーという表現がふさわしいが、若い時は痩せぎすな選手だったという。サッカーのために勉学に犠牲を払い、夜間学校に通いながらトッププレーヤーを目指した。デビュー17歳。しかし、その場所はセミプロ・カテゴリーのセリエD。プロとして飯は食えても、セリエAにたどり着くには先が見えない場所にいた。それでも、当時所属したクラブのロンディネッラ-小さなツバメ-という名前のように、ここから大空へ羽ばたいていくことになる。2000年にはセリエBのピストイエーゼに移籍。ここでジュゼッペ・ピッロン監督と出会い、ディフェンダーにコンバートする。

    「自分はセンターハーフの選手だと思っていたんだけれど、ピストイエーゼで6カ月プレーしていたときに、ピッロン監督にさらに後ろでプレーするようにと告げられんだ」

     対人プレーの強さにばかり目が行きがちであるが、右サイドバックとしてもプレーできることからも分かる通り、足元のプレーも非凡なものを持つ選手である。中盤の選手としてプレーしていたならどのような選手に育っていたのか、興味深いところだ。

    ◆■パレルモ移籍、W杯制覇、そして転機となった出会い

     その後、一旦はロンディネッラに戻り、そこからアスコリへ。22歳の2003年には、当時ミラクル疾風を巻き起こしていたキエーヴォに入団した。シーズン1年目にして29試合出場3ゴールの活躍を見せると、翌2004年にはシチリアの雄、パレルモに移籍し、その年の11月にはついにアッズーリでのデビューを飾る。そして、2006年、あのドイツワールドカップで優勝を経験。ベスト16のオーストラリア代表戦では56分から途中出場、準々決勝のウクライナ代表戦ではフル出場し、イタリアの4度目の世界制覇に貢献した。

     しかし、ワールドカップ後、バルザーリはベストコンディションになかったことを明かしている。「パレルモでの最後の2年間は、決して良いものではなかった。別人のようで、どこにでもいるような選手だった。一兵卒として戦ったワールドカップを経て、あのとき、ビッグクラブからのオファーを受け入れないことなどできなかった」と振り返る。ヴォルフスブルクへの移籍だ。ここでバルザーリのサッカー人生に大きな転機が訪れる。名将フェリックス・マガトとの出会いだ。

    「『君が悩み、トレーニングもうまくいっていない理由が分かるか? それは、自分自身がしていることに自信を持っていないからだ』と言われてね。それは事実だった。実際、70から80パーセントの力でトレーニングをしていたんだ。しかし、マガト監督に指摘されてからは、常に100パーセントトレーニングに臨んだ。決して、満足することはなかったよ。それからトレーニングの方法も変わってね。クオリティも飛躍した。妻にその頃よく『あなた、心ここにあらずって感じね』って言われたよ。サッカーのことしか考えていなかったんだ」。マガトに出会ったバルザーリは移籍1年目の08-09シーズンクラブ史上初のブンデスリーガ優勝の力となった。

    ◆■凡庸な選手からユヴェントスの選手へ

     2011年1月、冬の移籍市場でイタリアへの帰還を果たす。“イタリアの恋人”ユヴェントスへの移籍だ。このときの移籍金は30万ユーロ(約3800万円)。0が2つ少ないのではないかと目を疑いたくなるような数字だった。闘将アントニオ・コンテの指導の下、02-03シーズン以来となるセリエA優勝を目指していたチームにとってこれ以上ない破格の値段での補強となった。

     すぐに必要不可欠な選手となり、そこから7連覇を実現。今シーズンも前人未到の8連覇が決定的となっている。バルザーリは多くを語らない、ハードワークに徹したセンターバックだった。それゆえ、メディアへの露出度は低く、ピッチ外でのエピソードが明るみに出ることもなかった。

    「何よりもまず、謙虚でいることだ。それは、自分自身を信じるなということではない。しかし、謙虚でなければ、スタートから躓いている。たくさんの優れた選手を見てきたが、すでに成功したと思い込んでいる選手たちだった。大きな犠牲を払って偉大な選手になれる選手も中にはいる。自分はそんな偉大な選手の中には含まれないけれどね。けれども、自分は凡庸な選手からユヴェントスの選手へとなった」

     ユヴェントスは、チャンピオンズリーグ準々決勝でアヤックスに敗れ、96年以来の欧州奪還の夢は潰えた。それは、ベンチに控えていたバルザーリにとっての悲願でもあったはずだ。現役引退を表明し、選手としての欧州制覇は叶わぬ夢となった。

    「これからの数カ月、今後のことをじっくりと考えたい。自分が何に優れているのか、何に興味があるのか。素晴らしい熱狂をもたらしてくれるものを見つけなければならない」。引退後の去就については明言を避けているが、仮に指導者の道を歩むのであれば、これほどの適任者はいないだろう。真摯な彼の言葉の端々から、素晴らしい指導者になれる資質を持ち合わせている感じが見て取れる。選手として手が届かなかったビッグイヤーを、これからは指導者として目指す。そんな姿を想像することは、誰にとっても容易なものではないだろうか。

    文=佐藤徳和/Norikazu Sato

    昨季までにセリエA7連覇を達成したバルザーリ(中央)が、今季限りで現役を退く [写真]=Getty Images


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【セリエA】凡庸な選手から“ユヴェントスの選手”へ…引退表明のバルザーリが歩んできた道のり】の続きを読む



    (出典 juventus-journal.com)



    新加入C・ロナウドとの共存は機能せず CLアヤックス戦はハーフタイムに交代

     ユベントスアルゼンチン代表FWパウロ・ディバラは、今季クラブポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドを獲得して出場機会が減少するなかで、来季にはチームを離れる可能性が指摘されている。イタリア紙「コリエレ・デロ・スポルト」は、クラブ幹部に対してディバラが希望を伝えたと報じている。

     ディバラは昨季のセリエAで33試合出場22ゴールと、まさに「10番」を背負うエースとしてふさわしい成績を残している。テクニカルボールタッチと左足での強烈かつ正確なシュートで、ユベントスの攻撃の核としてシーズンを過ごした。

     しかし、ロナウドが加入した今季はここまで27試合出場も5ゴールUEFAチャンピオンズリーグ(CL)では9試合出場5ゴールだが、そのうち3得点はロナウドが出場停止を受けていたヤングボーイズ戦のもの。ロナウドとの共存が機能しなかったのはデータ上も指摘されざるを得ない。

     そうしたなかで、ディバラには国内のライバルであるインテルから獲得の打診が届いたとしている。しかし、ディバラはファビオ・パラティチSD(スポーツディレクター)に対し、インテルに対する「ノー」の回答と、クラブへの残留もしくは国外移籍の希望を伝え、イタリア国内の他クラブへの移籍を拒否する旨を伝えたとされた。

     ディバラは16日のCL準々決勝の第2戦、アヤックス戦ではキャプテンマークを巻いてスタメン出場したが、ハーフタイムで退いた。マッシミリアーノ・アッレグリ監督の続投と、少なくとも来季まではロナウドプレーすることが濃厚なユベントスにあって、その居場所は確保されるのだろうか。(Football ZONE web編集部)

    ユベントスFWディバラ【写真:Getty Images】


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【セリエA】エースから一転、出場機会減も… ユーベFWディバラ、国内移籍は拒否と伊紙報道】の続きを読む

    no title


    Corriere della Sera』は19日、「ゼニト・サンクトペテルブルクの元イタリア代表MFクラウディオ・マルキージオは、イタリアは息苦しかったと話した」と報じた。

    昨年夏にユヴェントスとの契約が解除され、ロシアに渡ったマルキージオ。盟友ブッフォンとともにチームを離れた。

    彼は以下のように話し、イタリアでのサッカー選手の生活には全く自由がなかったと語ったそうだ。

    クラウディオ・マルキージオ

    ブッフォンは正しかったね。彼は僕に言ったんだ。『国外でのサッカーにおける生活がこれほどまでに違うと知っていたら、数年前に移籍していた』と。

    異なった人生を生きることになるんだ。イタリアでは欠けている自由のようなものを味わうのだ。

    選手のバスがスタジアムに到着する時、どうなるかわかるかい?あれがイタリアサッカー選手の生活そのものだ。どこに行くにも護衛がついて回る。そのおかしさに気づくこともなく。

    それとは違った自由を享受する生活をしてみて、初めてその奇妙さを実感するんだ」

    (古巣のユヴェントスにおけるクリスティアーノ・ロナウドの影響力をどう見る?)

    「トリノを離れる前、夏に彼と会ったんだ。彼の周りの全てが変わっていったよ。なぜなら、彼が他の選手のレベルを上げて、我々に多くの自尊心を与えたからだ。

    それでも、たとえ彼がチャンピオンであっても、どれだけ大きな存在であっても、勝利を確証してくれるわけじゃない。そうでなければ、ロナウドメッシがずっとチャンピオンズリーグを優勝していただろうさ。

    【関連記事】ユヴェントス、この夏に売却しうる5人のビッグネーム

    夢は粉々になった。予測もされていなかった。サッカーは科学ではないからね」
    もっと早く国外に出ていれば…マルキージオが感じた「異なる人生」


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【海外サッカー】もっと早く国外に出ていれば…マルキージオが感じた「異なる人生」】の続きを読む



    (出典 f.image.geki.jp)



     ユヴェントスを率いるマッシミリアーノ・アッレグリ監督が、同クラブ所属のポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの退団報道を否定した。同監督のコメントを19日付のスペイン紙『マルカ』が伝えている。

     ユヴェントスチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝でアヤックスに2戦合計2-3で敗れ、CL制覇という目標が潰えていた。昨シーズンまでレアル・マドリードで同大会3連覇を達成していたC・ロナウドにとっても、個人4連覇の夢が絶たれる結果に。CL敗退後、複数のイタリアメディアによって「C・ロナウドは来シーズン終了時にユヴェントスを去る可能性がある」と報じられていた。

     アッレグリ監督はこの噂を真っ向から否定。「C・ロナウドの将来はユヴェントスにある。彼は並外れた選手で、今季も素晴らしい時間を過ごしている。そして、それは来シーズンも変わらない。確かに、(CLの敗戦を受けて)チームは非常に落胆しているけど、彼自身は落ち着いているよ」とコメントし、今後もC・ロナウドユヴェントスプレーすることを明言した。

     

    C・ロナウド(右)退団の噂を否定したアッレグリ監督(左) [写真]=Getty Images


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【セリエA】アッレグリ監督、C・ロナウド退団報道を否定「彼の将来はユーヴェにある」】の続きを読む



    (出典 football-tribe.com)



    インテルが、マンチスタイー・シティのブラジル代表DFダニーロ(27)の獲得に近づいているようだ。『フットボールイタリア』が伝えている。

    メディアイタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』と『スカイスポーツ』をもとに報道。それによると、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』はすでにインテルダニーロは年俸400万ユーロ(約5億円)の4年契約を結んだと伝えているようだ。

    シティは2017年夏にレアル・マドリーから獲得する際に支払った3000万ユーロ(約37億7000万円)の移籍金を出来るだけ回収したいと考えているようで、今回の移籍金は2000万~2200万ユーロ(約25億~327億7000万円)程度になると見込まれている。

    シティで2シーズン目を過ごすダニーロは、ケガの影響もあり公式戦出場はここまで20試合。契約は2022年まで残っている。

    サムネイル画像


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【移籍報道】インテル、ダニーロ獲得へ! イタリア紙は4年契約で合意報道】の続きを読む

    このページのトップヘ