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    カテゴリ: 日本リーグ


    小林祐希が語る、名波浩の影響力。「とてつもなくデカい」。多方面にわたる変化のきっかけ【The Turning Point】 | ニコニコニュース



    シーズンオフ中に都内でインタビュー取材に応じてくれた小林祐希【写真:舩木渉】
    フットボールチャンネル
    昨季は31試合1得点。数字だけ見たら「ダメ」

     サッカー選手の旬の時期は人ぞれぞれ。若くして豊かな才能を満開にする花があれば、辛抱強く力を蓄え、やがて咲かせる大輪の花もある。躍進につながるターニングポイントに興味津々だ。
     今回は特別編。これまで登場してもらった晩熟型のプレーヤーではなく、育成年代から将来を嘱望されてきた小林祐希選手の話を聞いた。昨年8月、エールディビジのSCヘーレンフェーンに移籍し、定位置をつかみシーズンを戦い抜いた。この1年でプレーはどう進化したのか。異国の地での生活は、内面にどのような変化を及ぼしたのか。そして、この先の展望やいかに。(取材・文:海江田哲朗)【後編】

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    ――昨季、ヘーレンフェーンでは、31試合1得点。この数字については?

    「ダメでしょ。数字だけ見たら」

    ――アンカーを中心に、守備的なポジションで起用されていた。シーズンを通して、レギュラーをがっちりつかんだ価値は大きいのでは?

    「センターバックやサイドバックもやりましたからね。守備的なポジションで試合に出られたのはプラスに捉えています。シュートは3本ポストに当てていて、ほかに惜しいチャンスが何回かあった。うまくいけば5点はいっていたかも。まあ、そこは運も関係するので。

     ナナさん(名波浩・ジュビロ磐田監督)とたまに電話すると、『いまは数字を気にするな。数字なんか気にしてプレーするな。毎試合、違うことができるようになってきている。ちゃんと進歩しているよ』と言われます。それは自分でも実感としてあるんです」

    ――具体的には?

    「たとえば、ヘディングで競り勝てるようになったり、身体を張って止めなければいけないところでのスラインディングなど、身体が勝手に反応するようになってきた。パススピードの向上、ターンの速さ、ゴール前に飛び出していけるようになったこともあります。

     ヘーレンフェーンは戦術的に縛りの多いチームだから、監督からしないように言われているプレーがあるなか、自分の判断とタイミングを見てできるようになってきている。おれ、ディフェンスはめっちゃ巧くなりましたよ」

    ――相手との間合いや身体のぶつけ方など、対応のコツを覚えましたか?

    「飛び抜けてスピードのあるヤツだと、どんな間合いでも無理。そこは前を向かせないのが一番ですね。ゴリゴリ系の場合は、背負ったときに相手がどこにいるのか手で触っていたい習性がある。それなら不安にさせてやろうと、わざと離れたりします。

     単純にスピード、パワーで向かってくるヤツのほうが読みやすい。巧いヤツは最初の動きで外してくるから、それが一番ムカつく」

    EL予選出場をかけたプレーオフでメンバー外になった理由

    ――エールディビジのトップ3、フェイエノールト、アヤックス、PSVには手強い相手がわんさといる?

    「スピードにパワー、技術も兼ね備える選手が山ほどいます。オランダでは、右ウイングに左利き、左ウイングに右利きを置いて、みんなめっちゃ足が速い。あからさまに縦を切るだけだと、中にボールをつけられてワンツーで一気に走られる。身体ぶつけて止められることもありますが、マジで速いヤツはラインの外からぐわっと抜いていくんです。

     真ん中で対峙したほうが、まだ潰せますね。サイドではずるずる下がってスコンと抜かれるケースがあるので、カードもらわないように巧妙なファウルができるようになったら、ディフェンス力がもうワンランク上がるかな」

    ――そういえば、エールディビジ終了後の、ヨーロッパリーグ(EL)予選2回戦出場を懸けたFCユトレヒトとのプレーオフに敗れたのは残念でした。第1戦はメンバー外で、第2戦は途中出場。これはコンディションの問題?

    「違います。ふつうに外れました。おれの場合、昨年の夏に移籍した都合、休みなしで70数試合連続でプレーしていたんですよ。それで監督から『疲労が溜まっている』と言われ、そりゃ疲れてるよ、でもラスト2試合がんばりどきじゃないの? という話し合いがありました。

     監督から『メンバーから外れたら失望するか?』と訊かれて、失望というよりガッカリだよね、力抜けちゃう感じと言ったら、来季を見据えて試したいことを説明されて最終的には受け入れました。別に監督のやり方に文句をつけるつもりはないから外で見ているよと。

     結果、第1戦を1‐4で落とし、2戦目も前半は0-1で、まったく攻められず、ボールも奪えない状況。後半から自分が出て、1‐1に追いついて終わっています。あれはあれで小林祐希の重要性を示せたから悪い終わり方ではなかった」

    代表初ゴールは「名波トレーニングのおかげ」

    ――今季に懸けるモチベーションの面では、ELのあるなしは大きいのでは?

    「もし出場できていたら楽しみではあったけど、それで極端に変わることないです。リーグ戦のほかにカップ戦があり、ポジション争いも激しい」

    ――なるほど。海外移籍1年目の収穫は多し、と。

    「昨季の31試合1得点0アシスト。この結果は悔しいです。悔しいけれど、コーナーキックやフリーキックを蹴らせてもらっていないのも関係しているので。ただ、やはり数字を残さないと代表には選ばれない」

    ――欧州の4大リーグ以外では、わかりやすい数字で目立つのがフックになる。

    「内容で評価されづらいなら、今季は数字も残しちゃおっかなと。エゴイスティックなやり方をするつもりはないですけどね。それでも選ばれないのならしょうがない。おれは代表がすべてとも考えていないですから」

    ――昨年11月11日のキリンチャレンジカップ、オマーン戦。鮮やかな日本代表初ゴールでした。

    「あれは名波トレーニングのおかげです。見たことあります? あれをやり始めたのはおれらなんですよ。最初はナナさんと3人くらいだったかな。こないだ磐田にいったときは、十数人がやっていました」

    ――詳しく聞かせてください。

    「ペナルティエリアの外、ナナさんがパスの出し手で、ディフェンダーがひとり。ナナさんがいろいろなボールを出してくれるんです。浮かした球、速い球、スルーパス、ちょんと置いたボール。シューターは瞬時に反応してダイレクトで打つ。

     足元にボールが入ってきたら、ワンタッチでコントロールし、ディフェンダーをはがしてシュート。それをずっと続けてきて、身体にくせがついていた。ボールを止め、すすっと動いてズドン」

    ――あのゴールは、力の抜け具合がよかったですね。7割のコントロールショット。

    「右足だったから、力を入れすぎると引っ張っちゃう。ロングパスのイメージで蹴りました。試合後、みんなから狙ってねえだろと言われましたが、狙ってなかったらニアのあそこに飛ぶわけがない。あの高さ、上隅は予想外でしたけどね。めっちゃいいところにいったなと」

    ――小林選手の場合、重要なゴールは意外と右足が多い。

    「おれは右足でもガンガン振るんで。J1初ゴールも右足でしたね」

    ――4年なんて、本当にあっという間。気づいたら、もう来年ワールドカップですよ。

    「そんなのみんな感じてますよ。当然、おれも」

    ――この時期には定着している予定だった?

    「していたかったけど、いまさら言ったところでね。近頃は自分の心に呪文のように問いかけています。ヒーローは遅れてやってくるよな、と。これが最もおれを駆り立てるキーワード」

    ――出た、出た。

    日本代表の大枠30人ではなく18人に入りたい

    「刺さった言葉はノートに書き留めています。これを言うのは恥ずかしい」

    ――ほら、せっかくそこにノートがあるんだし、御開帳といきますか。

    「いや、それは」

    ――あ、ダメだぞ。その態度は小林祐希じゃない。

    「簡潔に説明する。長いから簡潔に」

    ――どうぞ。

    「おれは常に成長したい。常に新しいことを採り入れながら、せわしなく、ずっと自分と戦ってきた」

    ――はい。

    「それを一回やめよう。無理に進まない。いったん立ち止まるということをトレーニングしています」

    ――それ、わりと読者に伝わりづらいね。

    「たとえば、壁にぶつかったときゴリゴリいくのではなく、止まってみる」

    ――少しわかった。止まることによって、見えてくるものがある。

    「意識的に止まる」

    ――さらに一歩下がれば、見通しが変わることも。

    「いままでは強引に乗り越えようとしたけれど、やり方はひとつじゃない」

    ――あらためて踏み出した一歩によって、これまでとは違う景色が拓ける。

    「けっして焦らない。焦っても焦らなくても過ぎる時間は同じ」

    ――ちょっと君、僕の言っていることは合っているのかね。

    「合ってる合ってる」

    ――そういうところなんだよ、小林祐希。

    「とにかく、それをいま意識しています。たくさんの人から訊かれるんですよ。どこを伸ばせば代表に定着できる? 来季もっと成長するには? そういった質問には、何もしないことですかね、我慢です、と答えています。

     現在の自分の取り組みは、全部正解だと思っているから。トレーニングはしっかりやっている。試合にも出られている。ヘーレンフェーンはいいチーム。食事も気をつけている。生活も見直した。何ひとつ間違っていない。

     どれほど突進したところで、ハリルホジッチ監督におれの声は届かない。大事なのは、目に留まるようなプレーをしていくこと。魂を見せつけること。そして、あとはチャンスがくるのを待つだけ。そのためには心を落ち着けて、物事に対処しないと」

    ――バックアップメンバーに選ばれるということは、構想の大枠には入っている。

    「いつも30人には入っていると聞いています。おれは18人に入りたい。だから、関係者にはそんな報告はいらないと言っています。いつでも呼ばれたらちゃんとプレーできるから、本決まりになったら伝えてほしいと」

    「ナナさん(名波浩)の存在はとてつもなくデカい」

    ――ところで、東京ヴェルディユース時代から盟友、高木善朗が「人間がやわらかくなったような。トゲトゲしさみたいなものがなくなりましたね」と話していましたよ。

    「人に対する接し方は変えましたね。だいぶやさしくなったと思う」

    ――稀代のツンツン野郎がどうしたことか。きっかけは?

    「ナナさんに会ってからかな。あまり言いたくないんですが、自分にとってあの人の存在はとてつもなくデカいです。そのほか代表入って自覚を持ったり、世界で通用するにはプレーだけでは不充分だとわかったことも。

     実際、意識的に接し方を変えてみて、いいことがたくさんあったから。たとえば、オランダで取材を受けるとき、このおれがヘーレンフェーンの駅まで迎えに行き、お茶を出し、満足してもらって最後は駅まで送るんですよ。以前では考えられない」

    ――そうかな。昔から君はメディアの人間に対しての気遣いはありましたよ。ずいぶんと細かいところまで見ているなと感心したものです。

    「もともと性格的には気を遣うほうで、ちゃんと表現できるかの問題。やっと大人になったんじゃないですかね。この年になって」

    ――一方で、丸くなったと言われるのは気に食わないのでは?

    「丸くなりました?」

    ――僕の印象はあまり変わりませんが、トゲトゲしさがなくなったと丸くなったはほぼ同義語。

    「何かあった場合はいつでも打って出る心構えはありますよ。見てのとおり、外見的な面も自分の好きなようにやっています」

    ――さて、もうすぐエールディビジ17‐18シーズンの開幕です。8月13日、ヘーレンフェーンはフローニンゲンとのダービーマッチ。CSのフジテレビNEXTに加入しなければ。

    「向こうには、堂安律がいますね」

    ――おっと、そうでした。面識は?

    「磐田時代、試合では対戦したことがありますが、しゃべったことはない」

    ――彼はなかなかのタマでしょ?

    「堂安のプレースタイルは大好きです。ただ、ガンバ大阪やU‐20日本代表でやっていたようなプレーは難しいでしょうね。まず、ボールが来ない、リターンパスも返ってこない。プレーを制限され、サイドをやるなら内側に入っていけない。おれもそこはだいぶ苦労しましたから、うまく順応できるか」

    ――日本でも大注目の一戦になります。

    「そうは言っても、おそらく堂安は出てくるはず。フローニンゲンはほかにもいい選手がたくさんいるので楽しみです。まあ、見ていてください」

    (取材・文:海江田哲朗)



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    横浜F消滅を経験、選手バス運転手が抱いた疑問「なんで横浜だけひとつに?」【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】 | ニコニコニュース



    横浜フリューゲルスの選手バスドライバーを勤めていた山田慎吾氏【写真:宇都宮徹壱】
    フットボールチャンネル
    「ゲルバス」と呼ばれた選手バス。単なる運転手以上の存在

     かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。(取材・文:宇都宮徹壱)

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     1999年に消滅した横浜フリューゲルスについて、さまざまな「当事者」たちの言葉を集めて再現する当連載。当初は、人づてに次のインタビュイーを探しながら、月1回のペースでの掲載を目指していた。

     ところが、前回の前田治のインタビューから実に3ヶ月が空いてしまい、当連載を楽しみにしていた皆さんには大変申し訳ないことをしてしまった。この場を借りてお詫びしたい。

     端的に言えば、次のインタビュー取材がなかなか実施できなかったのだ。取材候補に考えていた人は何人かいたのだが(いずれも興味深い内容になるという確信もあった)、粘り強い交渉にもかかわらず実現には至らなかった。

     取材する側としては「あれから20年が経ったのだから語れることもあるだろう」という思惑があったのだが、当時のことを思い出すことにためらいがあったり、立場的にまだ語れなかったりする人も一定数いることを思い知った次第だ。

     そんな中、ようやくわれわれのオファーに快く応じてくれたのが、選手バスの専属ドライバーを務めていた山田慎吾である。

     山田は47歳の時、当時所属していたイースタン観光から全日空スポーツクラブに出向する形で、専属ドライバーとなった。初仕事は94年3月5日のゼロックス・スーパーカップ。以来、99年1月1日の天皇杯決勝まで、山田はドライバーとして常にチームに帯同していた。

     フリューゲルスのファンは、この選手バスを「ゲルバス」と呼び、ドライバーの山田と共に深い愛着を抱いていた。また当時の選手たちも、山田を単なる運転手以上の存在として接していたフシが見られる。

     あれから間もなく20年。現在、千葉県成田市で静かに暮らす山田を尋ねると、古いカバンをおもむろに閻いて、ゲルバスのハンドルを握っていた日々のことを語り始めた。

    職を転々としたのちに出会ったゲルバス

     今日は取材があるっていうんで、仕事で使っていたカバンを引っ張り出してきたんだよ。(ゲルバスの運転手を)辞めてから、ずっとそのままにしていたからね。こういう行程表なんかも、捨てずにちゃんと残っている。昔はこういうの、FAXでやりとりしていたんだねえ。

     これはサンちゃん(セザール・サンパイオ)からもらった聖書。ほら、ここにサインが書いてあるでしょ。当時、サテライトを含めて50人くらい選手やスタッフがいたんだけど、全員にプレゼントしていましたね。本当に律儀な人でした。

     生まれは昭和21年、今年で71歳。出身は北海道の札幌です。親父は非常に封建的な人間でね、最初は僕を銀行員に、それが難しいとわかると寺に修行に行かせて坊主にしようとしたんだよね。

     でも僕は4人兄弟の2番目ということもあってさ、自由奔放な性格というか、ひねくれていたというか。せっかく入った高校も中退して、19歳のときにこっち(関東)に出てきたの。とにかく、誰かに決められるような人生を送るのがまっぴらごめんだった。

     ドライバーとして生きていくことは、高校時代からの夢だったね。こっちに来てすぐに大型免許一種を取った。それからゲルバスの運転手になるまで、いろんな仕事をしたよね。最初は日産の座間工場に入って、トラックだとか商用車の部品を運んでいたね。

     それから港から船に車を納める仕事とか、タクシーの運転手とか。路線バスの運転手とか。でも何を思ったか、いったん足を洗って飲食店を始めたんだけど、2年ももたなかった(苦笑)。向いてなかったんだね。すぐにハンドル稼業に戻りました。

     再びバス業界に舞い戻って、今度は観光バスのドライバーになったの。そのあと平成2年(1990年)にイースタン観光という会社に入って、最初はフジテレビのハイヤーを運転していたんだけど、ある時に部長から「おいヤマ、フリューゲルスというJリーグのチームが選手バスのドライバーを探しているんだが、どうだ?」とお声がかかったんですね。

     その時、僕は言ったんです。「実際にバスを見てから決めさせてください」って。幼稚園の送迎バスみたいなのだったら、絶対に嫌だったからね(笑)。

    三浦淳宏が集めてくれたカンパ

     それで名古屋の工場に行って、現物を見たんだよ。いやあ、参ったね。観光バス時代には乗ったことのないタイプだった。ちょっと専門的な話になるけど、バスって排気ブレーキが主流なんだ。

     ところがそいつはリターダブレーキといって、排気ブレーキやエンジンブレーキ以上の制動力が得られる。しかもよくある2段ではなく4段になっていて、(時速)130キロから一気に4段にぶっこむと、すっと100キロまで落ちてくれる。人間の足でブレーキを踏むよりもスムースで賢いんだな。これは完ぺきだと思いましたよ。

     僕のゲルバスデビュー戦は、94年3月のゼロックス・スーパーカップ。相手はヴェルディ川崎だったかな。六本木の全日空ホテルから出発したんだけど、(シーズンの)スタートだから選手だけなく全日空の役員さんとかも乗ってきたんだ。

     座席は29しかないのに35人も乗ってきて、肘掛けに腰を下ろしている人もいて。あの時は背中一面が汗びっしょりになったねえ(苦笑)。最初は確かスーツで運転していたね。2回目も3回目もそう。

     そしたら、マネージャーの人が「山田さん、もっとラフな格好でいいですよ」って言われて、フリューゲルスのロゴが入ったトレーニングウエアをもらったんだ。

     選手の皆さんとは、仲良くさせていただきましたね。飲み会にも誘ってもらったし、家族参加のバーベキューにも参加できたし、今となっては全部いい思い出です。そういえばゲルバスに缶ビールを用意していて、試合後に皆さん飲んでいましたねえ。他のチームもやっていたのかな?

     ただゾノさん(前園真聖)は、当時は未成年ということもあって飲まなかったね。あの人がヴェルディに移籍するなんて話になったとき、「行くな、絶対に後悔するぞ!」なんて声が、運転している時に聞こえたこともありました。

     山口(素弘)さん、薩川(了洋)さん、アツさん(三浦淳宏)、楢崎(正剛)さん、皆さん懐かしいねえ。今も現役なのは、楢崎さんだけですか。

     そうそう、こんな思い出もあります。プライベートで神戸での試合を見に行ったんですよ。試合後にロッカールームにあいさつに行って「それじゃあ僕、高速バスで帰ります」って言ったら、山口さんが「山田さん、僕らと一緒にグリーン車で帰ろうよ」と送迎バスに乗せてくれて、アツさんがカンパを集めてくれたんです。「これだけあれば、一緒に帰れるね」って。あの時は泣けてくるほど嬉しかった。

    ゲルバスとはいつも一緒に移動。まさに一心同体

     アウェイで自走するのは、一番遠いところで名古屋まで。ただ最初の頃は、九州も準ホームタウンになっていたでしょ? 長崎、熊本、それと鹿児島か。川崎からゲルバスをフェリーに載せて、宮崎あたりで上げてから空港で選手の皆さんを迎えに行きましたよ。

     フロントの人からは「山田さんも選手と飛行機移動でいいですよ」って言われたけど、ゲルバスだけってわけにはいかない。ですから、いつも一緒に移動していました。まさに一心同体でね。

     アウェイといえば、よく対戦相手のバス仲間に助けてもらいましたね。浦和レッズなんかは、当時から過激な応援で有名だったじゃないですか。サポーターが生卵を投げつけてくるんだよね。生卵って殻がこびりついて、非常に厄介なんだ。そうしたら浦和のドライバーさんが「ヤマちゃん、こっちに停めろよ」と言って、安全なスペースに誘導してくれました。

     それとか日本平で試合が押して、「こりゃあ新幹線に間に合わない!」って慌てていたら、清水観光のドライバーさんが早く到着できるルートを教えてくれて助かった、とかね。そんな話はいくらでもありますよ。

     僕はイースタンからフリューゲルスに出向する時、部長に「選手バスの仕事を10年やったら帰ってきますから」って言ったんです。ゲルバスのドライバーになったのが47歳で、そこから10年後っていったら57歳でしょ。還暦まであと3年ってことだったら、まあ潮時だよね。

     ゲルバスを卒業したら、またハイヤーのドライバーに戻ればいいかなって、漠然と考えていた。ワイドショーの事件現場に行くこともあったけど、役員をゴルフ場まで運んで、ずーっと待っているなんて仕事も多かったからね。

    「あの日」までは、相変わらずフリューゲルスで楽しく仕事をしていましたよ。ドライバーとしてはもちろん、ホペイロの手伝いみたいなこともやっていました。

     選手の皆さんを目的地まで運んだら仕事が終わり、じゃなくてロッカールームにも入れてもらって、アップ用のユニフォームを集めてワゴン車にぶっこんだりしていました。

    10年続けるつもりが5年で終わるとは

     当時はパンチパーマだったから「あの人、ジーニョの親父さん?」とか言われたこともありましたね(笑)。ロッカールームで円陣を組む時も、輪の中に入れてもらっていました。

     僕自身、ずっと好き勝手に生きてきたし、会社勤めであっても一匹狼のドライバーという気概はあった。だからまさか、こんな形で「チーム」に受け入れてくれるとは思わなかったですねえ。しかもプロのサッカー選手の皆さんに、仲間として受け入れられるなんてねえ。

     だから僕も「自分にできることは何だろう?」って考えて、試合後の移動のときには「今日の試合には痺れました」とか「明日の練習場は戸塚です。アップシューズをお忘れなく」とか、そんな感じでアナウンスしていました。わりと好評だったみたいですよ(笑)。

    (10月29日の合併のニュースは)多分、TVで知ったと思います。あれ、新聞だったかな。あんまりよく覚えてないや(苦笑)。それでも、まあショックではありましたよ。(横浜)マリノスも立派な選手バスがありましたから、「ああ、これでお役御免だな」と思いましたね。

     会社からの説明? ありませんよ。球団からも、イースタンからもね。自分から何か聞こうとも思わなかったです。ただ「ああ、そうなんだ」という感じ。

     そりゃあ「なんで合併?」っていう思いはありましたよ。「静岡にも大阪にも2つの球団があるのに、なんで横浜だけひとつにならなければならないの?」っていう疑問みたいなのは感じていました。

     それでも、こっちはハンドル稼業ですから、それ以上のことは踏み込めない。自分のやるべき仕事のことを粛々と続けていくしかないと思っていましたね。

     ですから、あの日のことは実はあんまりよく覚えていないです。ただ、ゲルバスの仕事を10年続けるつもりが、5年で終わるとは夢にも思わなかったですね。

    (取材・文:宇都宮徹壱)

    【後編につづく。文中敬称略】



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    川崎と鹿島の上位対決、チケット完売…満員の等々力で13日開催 | ニコニコニュース



    8月13日のJ1第22節で川崎と鹿島が激突する [写真]=Getty Images
    サッカーキング

     川崎フロンターレは8日、今月13日に行われる明治安田生命J1リーグ第22節の鹿島アントラーズ戦のチケットが、予定販売枚数終了となったことを発表した。

     川崎と鹿島の一戦は、等々力陸上競技場にて19時キックオフ予定。川崎は7日、公式HPにて「本日付で全席種の予定販売数を終了(完売)いたしましたので、お知らせいたします」と報告し、 以下のように説明している。

    「全席種、完売のため、当日券販売およびアップグレードサービス・ダウングレードサービスは実施いたしません」
    「予約キャンセルが発生した場合に限り再販売を行う場合があります」
    「最新の情報は『ホームゲームチケット販売状況』または『チケフロ』をご確認ください」

     昨季の明治安田生命Jリーグ・チャンピオンシップ準決勝、天皇杯決勝でも対戦した両クラブの対決。第20節終了時点で勝ち点「36」の5位につける川崎と、同「43」で2位の鹿島が激突する。9日に行われる第21節では、川崎がアルビレックス新潟と、鹿島はヴィッセル神戸と対戦。互いに勝利を収め、勢いに乗って第22節へ向かうことができるだろうか。



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    浦和レッズはACLで絶対に勝てない!? アルビレックス新潟の“呪い”とは―― | ニコニコニュース



    浦和レッズ公式サイトより
    日刊サイゾー

     浦和レッズに激震が走った。昨年のルヴァン杯優勝の立役者でもあるMF関根貴大が、ドイツ2部インゴルシュタットに完全移籍することになったのだ。

     つい先日、ミハイロ・ペトロビッチ監督を解任し、堀孝史コーチを昇格させたものの、その初戦となった下位の大宮アルディージャ戦では痛恨の引き分け。そんなチーム状態で、関根の移籍はあまりにも痛い。当然、浦和も関根を引き留めたが、移籍を遅らせることはできず。浦和サポーターが集まるネット上のスレッドは、完全にお通夜状態になっている。

     今月23日に控えているビッグマッチ、AFCチャンピオンズリーグ準々決勝への不安を募らせるばかりだが、さらに頭を悩ませる一件がある。それは、浦和に襲い掛かっている“アルビレックス新潟”の呪いだ。

    「近年の浦和は、サンフレッチェ広島と新潟の主力選手たちを引き抜いており、“サンフレックス浦和”と揶揄されているくらいです。ですが、最近、ある“呪い”が取り沙汰されるようになりました。それは新潟から主力外国人選手を引き抜くと、浦和に不幸が訪れるというもの。まず、AFCをJリーグクラブとして初めて制した2007年のシーズン後、新潟からエースFWのエジミウソンを引き抜きますが、チーム内で不協和音が飛び交い、翌08年は開幕からわずか2戦でホルガー・オジェック監督が解任されました。また11年にも、開幕前に新潟の司令塔、MFマルシオ・リシャルデスを1億円という破格の年俸で獲得しますが、この年はJ1残留争いに巻き込まれ、シーズン途中にゼリコ・ペトロヴィッチ監督が解任されました」(サッカーライター)

     そして今年は、新潟のエースFWのラファエル・シルバを獲得。結果、どのような“呪い”が発動したかというと、12年から指揮を執り、昨年の2016シーズンではリーグ戦年間首位、ルヴァン杯と結果を残したペトロビッチ監督が解任となっている。まさに、“新潟の呪い”である。

     過去、Jリーグクラブの多くが、“呪い”で沈んできた。記憶に新しいのが昨年、Jリーグ屈指の金満クラブである名古屋グランパスが「トヨタの呪い」(参照記事1 http://www.cyzo.com/2016/11/post_30256.html)、「ノヴァコの呪い」「西野の呪い」(参照記事2 http://www.cyzo.com/2015/11/post_24775.html)のトリプルパンチで、あっさりとJ2に降格した。またそれ以前にも、ジュビロ磐田のFW前田遼一がシーズン初ゴールを挙げたチームが次々と降格する「前田の呪い」(参照記事3 http://www.cyzo.com/2013/11/post_15073.html)もあり、最後には前田が得点を取れなくなり、磐田が降格した。

     過去のさまざまな事例を振り返ってみる限り、浦和にも“呪い”がかかっているのは明らか。上西小百合衆議院議員にTwitterで絡まれるよりも、浦和にとって頭が痛い問題になっているかもしれない。
    (文=TV Journal編集部)



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    浦和、池田伸康氏と山田栄一郎氏がトップチームのコーチに就任 | ニコニコニュース



    サッカーキング

     浦和レッズは8日、池田伸康ジュニアユースコーチがトップチームコーチに、山田栄一郎ジュニアコーチが、トップチームコーチ(分析担当)に就任したことをクラブ公式サイトで発表した。

     池田氏は現役時代に浦和や川崎フロンターレ、水戸ホーリーホックなどでプレーし、引退後は主に浦和のジュニアユースで監督やコーチを務めていた。トップチームのコーチ就任に際し、「チームの力になれるように全力でがんばりますので、よろしくお願いします」とコメントしている。

     山田氏は専修大学や筑波大学でGKコーチを務めたほか、水戸のユースでもコーチを経験し、2017年から浦和ジュニアで指導を行っていた。同氏も「チームの力になれるよう、全力をつくしますので、よろしくお願いいたします」と意気込みを述べている。



    (出典 news.nicovideo.jp)

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