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神奈川県横浜を拠点とするサッカークラブ「エスペランサSC」は、元アルゼンチン代表のホルヘ・アルベルトオルテガ氏が2003年に創設した異色のクラブ

クラブ名はスペイン語で“希望”を意味しており、2011年から活動するトップチームは現在、関東圏のトップディビジョンである関東1部リーグに参戦中。クラブとして、Jリーグ入りも視野に活動を続けている。

アルゼンチンサッカーを源流に持つクラブらしく、指導方法なども独特。

そこで、子供の頃からエスペランサに在籍し、日大藤沢高校と日本体育大学を経て、今シーズンから復帰した三田野慧にいろいろ聞いてみた。

「三田野慧」という名前

――本日はありがとうございます。まず、三田野選手のお名前が気になったのですが、この字(慧)で「あきら」と読むのは珍しい気がします。名前の由来を最初に伺っても良いですか?

父が昔から格闘技がすごく好きで、特にプロレスや総合格闘系が好きだったんです。

その中で、最強の男と言ったら誰だとなった時に、前田日明さんだと。だから「あきら」という名前がまず決まりました。僕は長男で父にとって初めての子供だったので、強い男になってほしいという願いがあったみたいです。

それで苗字が三田野と3文字なので、名前は1文字にしたかったんです。「あきら」と読む字をいろいろ探して、この文字が出てきました。

この字が使われた“慧眼”という言葉は、真実を見抜く眼といった意味です。常にそういった眼を持って生きていってほしいという思いから「慧」という名前になりました。

エスペランサSCとの出会い

――神奈川県サッカーをするとなると色々な選択肢があると思います。三田野慧選手は子供の頃、なぜエスペランサSCというクラブを選んだのですか?

小学校1年生サッカーを始めた時は地元葉山のサッカー少年団に入りました。その頃は上手い下手は関係なく、全員が必要に参加するごちゃ混ぜのチームだったんです。

ただそのうち強いチームで上手い人と一緒にプレーしたくなり、僕は隣町の逗子に強いチームがあったのでそこへ入りました。そこは地域の大会でも決勝戦まで全部5点差以上で優勝するような本当に強いチームでした。

僕がエースで、キーマンとして中盤に同い年の上手い選手がいました。でもその友達が横浜F・マリノスのプライマリーへ行ってしまったり、また別の選手も抜けたりで、上手い選手がどんどんいなくなってチームが弱くなってしまったんです。それが3年生の途中から終わりにかけてですね。

そこでどこか強いチームがないかと探していた時、お父さんたちが探してくれたのがエスペランサSCでした。

アルゼンチン代表の監督が教えているということで、やはりどういうサッカーをするかより、誰が教えているかが大事だろうと。経験している人が一番強いからそういう人のところで学ばせようとなったのが一つ。

そして、僕はパスサッカーというかフォーメーションがしっかりとあってポジションごとに役割が分かれているのが小学校の頃から好きだったんです。エスペランサはまさにそういうクラブだったので決めました。

日本体育大学学友会サッカー部時代

――そのエスペランサで“サッカーいろは”を学び、日大藤沢高校を経て、日本体育大学へ進みました。日体大はサッカーをする上でどんな環境でしたか?

大きく分けて3つ感じたことがありました。

一つは、「アスリート養成所」というイメージを僕は日本体育大学に対して持っていたんです。両親や祖父母が日体大出身で親戚にも日体大関係が多かったのでいろいろ話を聞いていました。

アスリートがたくさんいるイメージでその中で揉まれたいという期待を込めて行ったんですけど、実際に入ってみたらアスリートではない学生たちも結構いました。日体大が様々なスポーツに関わり始めたこともあるのですが、「一般の人もたくさんいるんだな」というのは感じました。思ったよりもアスリートが少なかったです。

もう一つは、レスリングで世界1位とか、オリンピックに出場したとか、様々なスポーツの選手がたくさんいたんです。でも、彼らも競技ではすごいけど、私生活はわりと普通の大学生なんだなというのはすごく感じましたね。

最後は、指導者一人一人のクオリティがめちゃくちゃ高いこと。自己紹介でさらっと「オリンピックメダリストです」といった感じで、“本物”ばかりだったんです。僕のゼミの先生はアーチェリーで2度のメダルに輝いた山本博さんでした。

――大学のチームJリーグクラブに対してたびたびジャイアントキリングを起こしています。大学サッカーならではの強みはどんなところにあると感じましたか?

やはり、体力があることだと思います。練習時間は日本サッカー協会の決まりで「練習は1日2時間」となっているので、日体大も練習は2時間でした。それは今のエスペランサでも変わりません。

ただ大学の場合、指導者が「まだ若いから走れるだろう」という前提でメニューを組みます。チームとしても走れる・走る前提でみんなが鼓舞し合うので、逆を言えば走らなければ置いてかれるんです。だから必然的に走れるようになりますね。

“ホーム”への帰還

――そんな大学サッカーを終えて、再びエスペランサに戻ろうと思った理由は何だったんですか?

昨年10月に大学サッカーを引退したんですが、それまで特に就活とかもしていませんでした。

そこから就活をするか、サッカーチームに入るか、色々と考え、一旦は就職する方向で行ける企業もあったんです。ただ、やっぱりサッカーをしよう、プロサッカー選手を目指そうと考えました。その決断をしたのが11月くらいです。

とはいえ自分の実力を考えると、即Jリーグはまず無理だろうと。そこでどういうところから行けるだろうと考えた時に、エスペランサが現在所属している関東1部リーグは自分にとってはすごくいい強度のリーグだと感じました。日体大卒でそのまま関東1部に入っている選手も何人もいますし、Jリーグではないからといってレベルが低いわけではありません。

その中で、エスペランサは6位。自分が昔いたからどうこうではなく、1チームとして強いじゃんと。そこで、11月の半ばくらいに練習参加に行ったところ、「アキラお帰り」みたいな感じで、すごく受け入れてもらったんです。アットホーム感が半端なくて。

しかも、中学時代に学んでいたことがそのまま大人になったようなチームなので、思いやパッション、負けない気持ちなど、サッカーの根本的な部分である「人間として戦う」という部分もとにかく大切にしている。高校大学の周りの人たちにはなかったその熱量を改めて感じて、すごく心地が良かったのを覚えています。

加入はチームとしても大歓迎だと言われたんですが、一応セレクションを受けてくれと言われました。その頃はまだ別のチームの練習参加に行ったりセレクションを受けたりしていたので、すぐに決めたわけではなかったんです。他にも候補のチームがありました。

ただ、エスペランサのセレクションを受けたところ、「『フィナンシェ』のトークン枠で当選しました」と言われて、クラブのお知らせとしてファンの方々に「トークン枠で最多投票獲得しました」とリリースされてしまったんです。

「三田野選手です。今シーズンは彼にいっぱい活躍してもらいましょう」みたいな感じで。あれ、まだOKと言ってないんだけど、と(笑)。でも「数日後までに返事をください」と契約書も渡されました。

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その1週間後か10日後ぐらいにJ3チームの練習参加があったのでそこへ行くためには締め切りを延ばしてもらわないといけなかったのですが、「いや、これは流れに従ったほうが自分としては心地がいいな」と思ったんです。

こんな歓迎してくれているんだから、エスペランサで頑張ろう。自分がどれだけ頑張るかが大切だと思い、加入を決めました。

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(出典 news.nicovideo.jp)