no title

かつて西ドイツ代表やバイエルンの伝説的なストライカーとして数多くのゴールを決めてきたゲルト・ミュラー氏が、15日の早朝に他界した。75歳だった。

ミュラー氏は、1963年にTSVネルトリンゲンでプロデビューし、翌1964年バイエルンへと加入する。

バイエルンでは、15年間の在籍の中で、リーグでは7度の得点王に輝くなど、公式戦607試合に出場し566ゴールを記録。ブンデスリーガでは通算365ゴールを奪い、歴代最多ゴール記録を保持している。

また、2020-21シーズンバイエルンポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキに抜かれたが、1971-1972シーズンにはブンデスリーガで40ゴールを記録し、50年近くもその記録を誇っていた。

“デル・ボンバー(爆撃機)”というニックネームで愛されたストライカー西ドイツ代表としても62試合で68ゴールを記録。ワールドカップ1974年に1度、ユーロでは1972年に1度優勝を経験していた。

また、バイエルンではブンデスリーガで4回、チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)で3回、DFBポカールで4回の優勝を経験。1970年にはバロンドールも受賞していた。

バイエルンクラブ公式サイトを通じて、偉大なレジェンドであるミュラー氏の他界を報告。オリヴァーカーンCEO(最高経営責任者)もコメントしている。

ゲルト・ミュラーの死のニュースは、我々全員に大きな影響を与えます。彼はバイエルンの歴史の中で最も偉大なレジェンドの1人であり、彼の功績は比類ないものであり、バイエルンとすべてのドイツサッカーの偉大な歴史の一部となるでしょう」

「選手として、そして人として、ゲルト・ミュラーバイエルンを世界最大のクラブの1つへと発展させてくれました。ゲルトは我々の中で永遠に宿ります」



ドイツブンデスリーガ全試合LIVE配信!月額888(税込)
>>詳しくはこちら

サムネイル画像


(出典 news.nicovideo.jp)