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写真提供: Gettyimages

これまで数多くの欧州トッププレイヤーが、母国あるいはビッグクラブを離れて中国に渡っている。中国マネーに惹かれてと断定するわけではないが、自身のサッカーキャリアのステップアップとして中国への移籍を決めた選手は少ないはずである。

今回は、欧州で結果を残した後に中国のリーグに移籍するという大きな決断をした3選手の状況を見てみよう。


ヤヤ・トゥーレ 写真提供:Gettyimages

ヤヤ・トゥーレ

元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレ。彼について最初に思い浮かぶのは、アフリカ年間最優秀選手賞を4回(2011、2012、2013、2014)も受賞したこと。また、ジョゼップ・グアルディオラ監督が率いたバルセロナで中盤の柱として活躍した時代(2007-2010)や、その後マンチェスター・シティ2010-2018)で230試合に出場しプレミアリーグ初制覇に貢献したことであろう。

欧州のビッグクラブで主役として活躍したコートジボワールの巨人はその後どうなったか。

2018年。シティでのキャリアを終えたヤヤ・トゥーレは、ギリシャリーグのオリンピアコスへ移籍した。しかし、移籍が決まったわずか約4ヶ月後に退団し、わずか5試合のみの出場で終わっている。36歳を迎え、引退を決心していたヤヤ・トゥーレは最後の挑戦を試みた。フリーとなった彼は、中国2部リーグの青島黄海のオファーを受け入れて中国に飛び立った。

青島黄海では14試合に出場し、2ゴールマーク。同クラブスーパーリーグ(1部)昇格に貢献したが今年1月に退団し、現在は無所属となっている。欧州で大きな結果を残した選手であるにも関わらず、彼の現在地を把握している人は少ないと思われる。


スカル 写真提供: Gettyimages

オスカル

ブラジル代表MFオスカルは、母国のサンパオロとインテルナシオナルで経験を積んだ後、2012年に欧州に渡った。チェルシー3200万ユーロ(約40億円)という膨大な移籍金を払って獲得した。チェルシーでは2017年までの5年間で、131試合に出場し21ゴールマークUEFAヨーロッパリーグ2012-13)フットボールリーグカップ2014-15)プレミアリーグ2014-15)のタイトルを獲得している。

欧州での初経験はオスカル自身にとっても満足のいく結果であっただろう。彼は順調に成長を続けていた。そしてサッカー選手のキャリアとして最盛期を迎えた2017年、中国リーグ上海上港のオファーを受けたのだ。彼も中国クラブによる“爆買い”のターゲットとなり、25歳という若さで大舞台である欧州を離れて中国に移籍することになった。

スカルが中国へ移籍を決断した最も大きな要因は、4年間で9600ユーロ(約120億円)という高額な年俸と言われている。彼は移籍について次のようにコメントしている。

「中国に移籍した理由?今回はキャリアより家族のことを考えたから中国に来た。きっとどんな決断をしても、人々はその決断に対して良いとか悪いとか評価を下すだろうね。ここに来たのと同じように、またいつヨーロッパに戻ってプレーすることは可能だと思っている」

現在もオスカルは中国でプレーを続けており、家族のための“貯金”が終わった後に欧州に戻ること計画しているようである。


ステファン・エル・シャーラウィ 写真提供:GettyImages

ステファン・エル・シャーラウィ

イタリア代表FWステファン・エル・シャーラウィイタリアではミランローマなどでプレーし、2015年にはモナコでのプレー実績も持つ。2012年セリエA若手サッカー選手賞を受賞したイタリアスターである。

エル・シャーラウィもオスカル同様にキャリアのピークを迎えた時期に中国(上海申花)からのオファーを受け、年俸1600万ユーロ(約20億円)の4年間の契約にサインした(現在サッカーイタリア人選手で最も年俸が高いのはエル・シャーラウィである)。

26歳で欧州を離れて中国に移籍したことに対して、エル・シャーラウィは多くの批判を受けた。サッカーよりもお金を選んだことにどうしても納得がいかなかったサポーターが多くいたようである。

ではどれ程のお金であるか、エル・シャーラウィの年俸を少し分けて見てみよう。年俸1600万ユーロ(約20億円)。月給130ユーロ(約1.6億円)。日給44000ユーロ(約550万円)。時給1833ユーロ(約23万円)。分給35ユーロ(約4300円)。批判者がこの数字を見れば、彼が移籍するという決断をしたことを受け入れやすくなるだろう。

エル・シャーラウィも欧州の舞台に戻ることを望んでいることを何度もインタビューコメントしており、4年間の契約が満了する前に“家”に戻ると思われる。



(出典 news.nicovideo.jp)