2020年7月30日にユベントスU-23の監督に就任したアンドレア・ピルロは、わずか10日後にマウリツィオ・サッリの後継者に任命され、トップチームの指揮官となった。
ビアンコネーリ(ユベントスの愛称)にとってこれは大きな賭けであろう。確かに2011年にイタリアの最強ファンタジスタ(プレーメイカー)ピルロがユベントスに加入したことによって、このクラブは栄光を取り戻しセリエA9連覇を果たすほどの存在となった。しかしながら、監督としてはピルロにとってこれが初経験となる。果たしてクラブやサポーターの期待に応えられるだろうか?
しかし、プレーしたクラブで監督としての初経験を積むケースは少なくない。今回はピルロと同様の道を経て活躍してきた現役指揮官を見てみよう。
クロップ
現在リバプールの監督を務めるユルゲン・クロップは、1990年から2001年にかけてドイツのマインツでプレーし、2001年に引退してすぐに同クラブの指揮官に就任した。
クロップにとってマインツでの監督時代(2001-2008)は非常に良い発射台となった。2004年にはブンデスリーガ2部に所属していた同クラブを1部昇格に導き、初の1部挑戦となった2004/05シーズンには11位でリーグ戦を終えて残留を決めた。
その経験によって2008年にボルシア・ドルトムント、2015年にはリバプールほどのビッグクラブに渡ることができ、ブンデスリーガ優勝2回、プレミアリーグ優勝1回、チャンピオンズリーグ(CL)優勝1回など、多くのタイトルを手にしている。
ポチェッティーノ
2019年11月19日までトッテナム・ホットスパーの監督を務めたマウリシオ・ポチェッティーノも、クロップと似たような形で監督としてのキャリアをスタートしている。
2004年から2006年にかけてポチェッティーノはエスパニョールのDFとして活躍し、引退から3年後(2009年1月)に監督として再びスペインのクラブに戻った。
エスパニョール監督時代(2009-2012)のポチェッティーノはトロフィーにこそ恵まれなかったものの、長期に渡ってクラブに安定感をもたらした。その後(2013年1月)プレミアリーグに渡り、2部へ降格するリスクがあったサウサンプトンを見事に救ってから、2014年5月にトッテナムに就任した。
現在はローマが彼に興味を示し、パウロ・フォンセカに代わってジャッロロッシ(ローマの愛称)の監督となる可能性が高まっているようだ。
シメオネ
2011年12月からアトレティコ・マドリードの監督を務めているディエゴ・シメオネは、地元アルゼンチンで指導者としての道を歩み始めている。
シメオネは、2006年2月17日にラシン・クラブで現役引退を迎えたと同時に監督に就任した。しかし同年6月にクラブの会長が変わったことによってチームを去ることとなった。
その後は同国のリーベル・プレートやイタリアのカターニャなどで経験を積むが、シメオネが監督としての才覚を表したのは、やはりアトレティコ・マドリードの指揮官となってからだ。
アトレティコでは2011年から現在にかけてラ・リーガ優勝1回、ヨーロッパ・リーグ(EL)優勝2回など、8冠のタイトルを手にしている。
ジダン
レアル・マドリードの指揮官であるジネディーヌ・ジダンは、このクラブの全てを知り尽くしてから現在の一流監督となった。
2001年から2006年にかけてロス・ ガラクティコス(マドリードの愛称)のスター選手となり、引退を迎え、2013年に副監督としてカルロ・アンチェロッティのスタッフに加わった。その後、2年ほどカスティージャ(マドリードのリザーブチーム)で監督経験を積んでから、2016年1月にトップチームに就任している。
ジダンの元でマドリードは多くのタイトルを獲得。CL3連覇(2015-2016、2016-2017、2017-2018)まで果たすことができた。
インザーギ
ジダンと似たような道を歩んでいるのは、セリエA4位で2019/20シーズンを終えたラツィオの監督シモーネ・インザーギである。彼は現役人生の多くをラツィオに注いだ(1999-2010)。
引退後も指導者としてビアンコチェレスティ(ラツィオの愛称)と共に道を歩み続ける。U-17のコーチとしてスタートを切ると、2013/14シーズンからはU-20の監督を務め、U-20コッパ・イタリアで2度の優勝を果たした。
2016年4月3日、ステファノ・ピオリの解任に伴い、インザーギはトップチームの監督に昇格。そして、マルセロ・ビエルサのわずか2日間の監督就任という珍事(2016年7月6日に就任するも、7月8日に一試合も指揮をとることなく解任)を除いて、ラツィオの指揮官としての役割を果たし続けている。
(出典 news.nicovideo.jp)
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