2019年7月に現役引退を発表したバイエルン・ミュンヘンのレジェンド、アリエン・ロッベンが、36歳にして再びサッカー選手として復帰することになった。
ピッチが恋しくなった彼はデビューしたオランダのフローニンゲンに戻り、2020/2021シーズンに向けてコンディションを上げるために、数週間の特殊トレーニングを行っているという。6月27日にフローニンゲン公式サイトが明らかにしている。
引退後にサッカー選手としての人生が恋しくなり、再びプロの世界に戻った選手は大勢いる。今回はロッベンのように復活したサッカーレジェンドをまとめよう。
オスバルド
かつてインテル、ローマ、ユベントスなどで活躍したパブロ・オスバルドは、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズでの最後の試合からすでに3年が経っていたにもかかわらず、2020年1月に復帰を発表した。
引退してからの3年間、彼はバンドを作って音楽活動を行い、ダンサーとしてもブレイクを試みたが、最終的には「大嫌い」と発言してしまったサッカーというスポーツのもとに戻ることとなった。
オスバルドが現在プレーしているクラブはアルゼンチンのバンフィエルドだが、落ちた体力と新型コロナウイルスの影響によって現時点までには1試合にしか出場してない。
カッサーノ
引退に関する考えが最も曖昧な選手は、間違いなくアントニオ・カッサーノだ。2015年1月26日にパルマの財政難による給料未払いのため契約解除となり、そのまま引退すると思ったサポーターも多いが、同年8月9日にサンプドリアの選手として再びピッチに立った。
サンプドリア時代は彼にとって最悪な時期と言ってもおかしくない。クラブとの関係がうまく行かず、カッサーノはトップチームから追放され、プリマヴェーラ(ユースチーム)で練習することを命じられた時期もあった。2017年1月25日に彼は自らクラブと解約し、引退を発表した。
カッサーノのドラマはまだまだ続く。2017年7月10日にエラス・ベローナと1年契約を結び復活をした。しかし、それは一瞬のことだった。彼の活躍を楽しみに街が盛り上がっていたところ、練習にさえついていけなかったカッサーノは同じ月の18日にベローナ退団と同時に再び現役引退を発表した。
スコールズ
2011年5月31日、チャンピオンズリーグの決勝戦。マンチェスター ・ユナイテッドはバルセロナに敗れ、優勝を逃した。しかし、サポーターを苦しめたのは試合結果だけではなかった。試合後、レッド・デビルズのレジェンド、ポール・スコールズが引退を発表した。
引退後、スコールズはアレックス・ファーガソン監督のコーチングスタッフとしてクラブに残った。しかし、ファーガソンがずっと彼の選手としての復活を強く求めていたことは、あまり知られていない。
引退から約半年後の2012年1月8日、スコールズが現役復帰することが発表されると、同日に行われたFAカップのマンチェスター・シティとのダービー戦でベンチ入りし、64分から出場した。
現在45歳になるスコールズは、たまに息子アーロンの所属クラブ(ロイトン・タウン、イングランド11部相当)の試合に出場していると言われている。
リバウド
多くの怪我で何度も引退しそうになったブラジル代表レジェンドのリバウド。2014年、ブラジルのモジミリンでプレーした際の膝の怪我が原因で、自身のインスタグラム内で引退を発表した。
しかし発表から15ヶ月後の2015年6月、再び同じクラブでプレーすることを決心し、同じユニフォームを着ていた息子リバウジーニョと同時に試合に出場すると、得点まで決めている。
リバウドの最終的な現役引退は翌年の8月となった。複数のクラブから監督としてのオファーがあったが、指導者としてはまだスタートを切っていない。
ベロン
1999/2000シーズン中にラツィオで大活躍し、セリエA、コッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナの3冠を手に入れたフアン・セバスティアン・ベロンも、サポーターを驚かせるのが得意だった。
ブルヒータ(ベロンの愛称で小さな魔法使いという意味)は、2006年6月にキャリアをスタートしたエストゥディアンテスに戻り、23年ぶりの国内リーグ優勝を果たしている。
2012年4月にプロのキャリアを引退し、クラブのスポーツディレクターに就任したが、同年の6月29日にとんでもないことが起きた。彼はアルゼンチン6部のアマチュアクラブ、ブランドセンからの出場オファーを受け、2012年のリーグ優勝を果たしたのだ。
年齢の積み重ねによってキャリアを諦めたくないベロンは、再び選手としてエストゥディアンテスに復帰し、21試合に出場してから2014年5月19日に2度目の引退を表明した。
マテラッツィ
忘れてはならないのは、2006年にFIFAワールドカップ優勝を果たした元イタリア代表のマルコ・マテラッツィだ。2011年、インテルで多くのタイトルを獲得したあと自らクラブとの契約を解消し、監督になるための勉強を始めた。
しかし、2014年に思いもしなかったところからオファーを受ける。それはインドだった。マテラッツィはインディアン・スーパーリーグのチェンナイインで監督を務めながら、同時にプレイヤーとしても登録され、7試合に出場した。
(出典 news.nicovideo.jp)
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