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【識者コラム】ブンデス“一強”のバイエルンベッケンバウアーらが築いた1970年代黄金期

 バイエルン・ミュンヘン2019-20シーズンブンデスリーガ優勝を決めた。これで8連覇。新型コロナウイルス感染拡大による中断も影響を及ぼさなかった。

 国内リーグで優勝が続くことはある。フランスリーグ・アンでは、リヨンが01-02シーズンから7連覇を達成している。イタリアセリエAではユベントスが8連覇中で、今季も優勝すれば9連覇となる。

 ただ、バイエルンは8連覇だけでなく、ブンデスリーガの歴史の半分くらいは優勝している(57シーズンで29回目)。

 ブンデスリーガの発足は意外と遅く1963年だった。日本に全国リーグができたのが1965年なので、2年しか違わない。ヨーロッパでは後発のブンデスリーガで、バイエルンはさらに新参者だった。リーグ発足時には参入できず、ブンデスリーガに参加したのは65年からなのだ。当時、ミュンヘントップクラブ1860ミュンヘンだった。

 バイエルンと目と鼻の先にある1860ミュンヘンとは、ホームスタジアムを共有していた。元は1860ミュンヘンホームだったこともあり、「ゼヒツィガー(=60)」と呼ばれていたグリュンヴァルダー・シュタディオンだ。当時は1860ミュンヘンの重要な試合の前に「芝生が荒れると困る」という理由で、バイエルンが他会場を使用しなければならないこともあった。人気、実力ともに1860ミュンヘンのほうが格上だったのだ。

 ところが、バイエルンブンデスリーガに参戦するや、あっという間に1860ミュンヘンとの立場を逆転している。初参戦の1965-66シーズンでいきなりの3位、DFBポカールは優勝。66-67はポカール連覇、UEFAカップウィナーズカップ優勝の2冠。68-69にはブンデスリーガ初優勝にポカールも優勝の2冠。70年代UEFAチャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)3連覇など、ヨーロッパトップクラブへ駆け上がっていった。

 どうして急に強くなったのかは簡単に説明がつく。フランツ・ベッケンバウアー、ゼップ・マイヤー、ゲルト・ミュラーの若手が台頭したからだ。特に「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアーの加入は大きかったが、本当は1860ミュンヘンに加入する予定だったという。

ドイツ代表=バイエルン」のイメージも確立

 地元で開催されたU-14の大会で、ベッケンバウアーの所属するクラブが決勝で1860ミュンヘンと対戦した。ベッケンバウアーをはじめ数人が1860ミュンヘンのユースチームに移籍する予定だったのだが、この決勝でベッケンバウアーは試合中に相手選手から平手打ちを食らった。怒ったベッケンバウアーは、1860ミュンヘンではなくバイエルンを選んだ。もし、些細なハプニングがなければ、バイエルン1860ミュンヘンの立場は、現在とはまた違っていたかもしれない。

 1970年代の最初の黄金時代バイエルンは、リベロベッケンバウアー、中盤のウリ・ヘーネス、CFゲルト・ミュラーの縦のラインが強力で、この3人による中央攻撃が特徴だった。サイド攻撃が主流だったドイツでは異質なサッカーであり、当時もずいぶん批判されたのだが、ベッケンバウアーたちは「ゴールは中央にある」としてスタイルを変えなかった。ゴールが中央にあるというより、異能のゴールゲッターであるミュラーが中央にしかいないという事情だと思うが、華麗なパスワークドイツ的というよりラテンの香りさえ漂わせていたものだ。

 1974年西ドイツワールドカップ(W杯)はバイエルンホームミュンヘン・オリンピアシュタディオンで決勝が行われ、バイエルンの選手が6人も先発しているので、バイエルンがW杯で優勝したような印象すらあった。その後もバイエルンドイツ代表の中心メンバーを輩出し続けていて、ドイツ代表=バイエルンイメージなのだが、もともとドイツの中では異端のクラブだった。それが勝ち続けるうちに異端から特別になり、現在の一強状態に至っている。(西部謙司 / Kenji Nishibe)

バイエルン・ミュンヘンがブンデスリーガを8連覇(写真は昨シーズンのもの)【写真:Getty Images】


(出典 news.nicovideo.jp)