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[サッカーキング No.011(2020年3月号)掲載]
誰もが知るクラブを渡り歩いてきたが、
“本当の居場所”を見つけられてはいなかった。
だが、今は違う。マテオ・コヴァチッチはついに、
最高の自分を表現できる場にたどり着いた。

インタビュー・文=イヴァン・トミッチ
翻訳=清水 悠
写真=ゲッティ イメージ

 私たちは今、ようやく彼の真の姿を目にしている。まだ“レアル・マドリードが所有する選手”だった昨シーズンは、なかなかギアを上げることができなかった。しかし昨夏、4000万ポンド(約56億円)の移籍金で完全移籍を果たしたことで、25歳のマテオ・コヴァチッチの人生は大きく変わった。

 彼は今、フランク・ランパードが率いる若いチームメインキャストを演じている。補強禁止処分を受けたチェルシーチャンピオンズリーグ出場権を視野に捉えているのは、彼が期待された以上の活躍を見せていることも大きい。

 コヴァチッチは長い時間をかけてブレイクを果たした。ようやく自身のポテンシャルを惜しみなく発揮できるようになった。その歩みは華やかだ。2013年にディナモ・ザグレブからインテルへと引き抜かれ、2015年にはクロアチア代表の偉大な先輩ルカ・モドリッチがスカウト陣に推薦したことで、レアル・マドリードへの移籍が決まった。レアル・マドリードでは3度のCL優勝、そしてラ・リーガ制覇を経験している。しかしその間、自身の理想とする居場所を作ることはできていなかった。

 そして2018年夏、ロシアワールドカップクロアチア代表を決勝まで導いた彼は、最適なタイミングで新天地を求めた。ジャーナリストとはあまり接さず、カメラの前にもなかなか姿を現さない。2017年には高校の同級生との結婚を発表し、夫妻が初めて出会った教会で式を挙げた。そんな謙虚で大人しく、地に足のついたシャイな青年が、多くを語ってくれた。スタンフォードブリッジで過ごす日々について、レアル・マドリード時代について、ジネディーヌ・ジダン監督のもとで勃発していた熾烈なメンバー争いについて。そしてもちろん、ランパードがどれだけ最高なのかについても。

◆教会で過ごした時間と出会った人が支えになった

――オーストリアに生まれた君は、13歳のときにクロアチアに移り住み、ディナモ・ザグレブのユースチームに加入した。幼い頃に新しい環境に適応するのは難しくなかった?
いや、クロアチアに移住することは全く大変ではなかった。早くディナモに入りたくて仕方なかったからね。リンツ(オーストリア第3の都市)に住んでいた頃から、クロアチアに住む友人のところに遊びにいくことがあったし、クロアチアにはいいイメージしかなかった。当時はアヤックスも僕の獲得に興味を示してくれていたんだけど、その後ディナモから声がかかったときには、もう迷いはなかった。ザグレブのほうが無理なく、自然な形で成長できると思ったから。僕も、そして家族も、ほかの子供たちと同じように幼少期を過ごすべきだと考えていたんだ。人間形成の部分ですごく助けられたし、もちろんプレーヤーとしても大きく成長させてくれたから、感謝しているよ。ザグレブに行くと決めたことは、今でも人生で最もいい選択だったと思っている。

――教会で多くの時間を過ごしてきたそうだね。宗教は君にどんな影響を与えた?
僕は教会が教えてくれる真理、そして精神のなかで育ってきた。当時はそれが支えになっていたし、いまだにその存在は大きいよ。ザグレブでキャリアをスタートさせたときもそうだ。プライベートでも、教会で出会った顔なじみの人たちとよく会っていた。

――2010年16歳と198日でディナモ・ザグレブでのデビューを果たし、最年少得点記録を更新した。周囲の注目が高まっていくことをどう感じていた?
目の前の記録にとらわれたことはない。あまり大事なことじゃないからね。ディナモでの初出場となった試合は、とにかく自分の夢が実現していく瞬間を心からエンジョイしたいと思っていた。ウォーミングアップしていたら、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が僕の名前を呼んだんだ。でも僕はめちゃくちゃ緊張していたから、監督が別の選手の名前を呼んだと思い込んでいたんだよ(笑)。最初の15分間は緊張していたけど、だんだんとリラックスしてきて、初ゴールを決められた。夢のような瞬間だったね。

――CLでは17歳にしてレアル・マドリードとの試合にスタメン出場したね。
あの試合の前日、クルノスラフ・ユルチッチ監督が「明日、プレーしたいか?」って聞いてきたんだ。もちろん「はい!」って返事をしたよ。まさか17歳の少年が満員のスタディオン・マクシミールで、レアル・マドリードを相手に先発するなんて思いもしないよね。間違いなく一生忘れられない夜だった。試合は敗れたけど、0-1と奮闘はできた。

――2013年1月に1100万ユーロ(約13億2000万円)の移籍金でインテルに加入したときは、どんな気持ちだった? プレッシャーを感じた?
チームがどれだけの移籍金を払ったかなんてことは、全く考えていなかったし、悲しい気持ちのほうが強かった。まさか自分が放出されるなんて思っていなかったから。その前の冬の移籍市場では、ディナモが僕の移籍を阻止してくれていたんだ。だから全く予想していなかった。移籍期間最終日だったし、数週間前にディナモと契約更新をしたばかりだったから、余計にね。でも、インテルが僕をほしがってくれたことには誇りを感じた。家族も友人もいない地で過ごすことに難しさはあったけど、次第にネラッズーリの一員としてプレーできることを楽しめるようになっていった。

◆モドリッチと僕は「異母兄弟」なんだ(笑)

――2015年の夏にはレアル・マドリードから声が掛かった。そのときのことを教えてくれる?
当時僕は家にいて、彼女(現在の妻)と過ごしていた。ごく普通の、ありふれた一日だった。今考えてもすごくおかしいし、奇妙な偶然なんだけど、僕はたまたまモドリッチにもらったレアル・マドリードショートパンツを履いていたんだ。そのとき、電話が鳴った。そして代理人からこう言われたんだ。「今、立っているのか? 座っているのか? 大事なことを伝えるから」って。「座ったよ。準備はできた」。そう伝えると、レアル・マドリードからオファーがあってインテルが応じる姿勢だって言われたんだ。複雑な気持ちになったことを覚えている。もちろん、レアルのようなメガクラブからのオファーを光栄に感じたけど、当時のチームには中盤にすごい選手たちがそろっていたから、熾烈なポジション争いが待ち受けていることは簡単に想像がついた。でも、行くと決めた。やってやろうと思ったんだ。

――世界最大のクラブで、同胞のモドリッチとともにプレーできることになった。
当時の僕にとっては、それがすべてだった。幼い頃からルカはロールモデルだったから。初めて会ってからは、ずっといい友人でいてくれたしね。レアルロッカールームでは、僕をチーム全員に紹介してくれたんだ。新天地でスタートを切るうえですごく助けられたよ。ピッチの外でも、彼の存在はとても大きい。僕にもルカにも男兄弟がいないんだけど、いつも「ようやく本当の兄弟を見つけたね」ってジョークを言い合っていたくらいだ。「異母兄弟だね」って(笑)。ルカのプレーについては、今さら語る必要なんてないよね。彼はここ数年、世界最高のMFとして君臨している。特に2018年はすごかった。僕が“ルカの後継者”だなんて全く思わないよ。彼は唯一の存在だから。僕には僕の特徴があるし、今後もクロアチア代表に貢献できると思っている。代表でプレーし始めてから7年が経つし、リーダーとしてチームを引っ張っていく強さもついてきたと思う。そのためのチャレンジは全く恐れていないよ。

――2016年から2018年まで、レアル・マドリードのCL3連覇に貢献したね。君にとってその事実はどんな意味を持っている? 決勝で一度もプレーできなかったことにイラ立ちはない?
3度のCL優勝は大きな意味を持っているし、チームを誇りに思ってもいるよ。その一員でいられたことはとても貴重な経験だし、決して忘れられない。そして同時に、決勝戦で一度も出場機会を得られなかったことにはがっかりしている。せめて3回のうち一度くらいは、たとえ15分間でもピッチに立つことができると思っていた。特に3度目のキエフで行われたリヴァプールとの決勝に出られなかったことはショックだった。でもその失望があったからこそ、外に出るという決断ができたんだと思う。

――以前、「ジネディーヌ・ジダン監督が自信をつけさせてくれなかった」ことをほのめかしていたよね。
僕のキャリアを振り返れば、彼のもとでプレーした期間はかなり長いわけだし、間違いなく選手として成長をもたらしてくれたと思っている。ジダン監督とランパード監督はすごく似ていて、彼らのやり方は僕に合っている。ジダン監督のチームプレーできたのは素晴らしい経験だったけど、決勝で僕にチャンスを与えてくれても良かったんじゃないかなとは思う。それが最大の不満であることは確かだけど、フットボールとはそういうものだ。別れのときもギクシャクすることはなかったよ。

◆ランパード監督は選手に自由を与えてくれる

――昨シーズンレンタルチェルシーに加入したね。完全移籍でなかったことについて、どんなことを思った?
あまり考えなかった。もちろん完全移籍を望んでいたけど、それ以上にプレミアリーグで、チェルシープレーできることがうれしくて仕方がなかった。当時、レアルは僕を売却する気がなくて、あくまで1シーズンレンタルを希望していたんだ。僕も新しい場所で、コンスタントに試合に出なければいけないと感じていたから、その考えに異論はなかった。1年目を振り返れば、チェルシーが買い取りを希望することに驚きはなかった。とてもうれしかったね。

――イングランドでの1シーズン目で何を成し遂げられたと思う? その頃と今では何か変わった? 今のほうがプレーを楽しんでいるように見えるけど。
正直、自分でもよく分からないんだ。数字だけを見れば昨シーズンよりも今シーズンのほうがいいけど、自分では昨シーズンもいいプレーができたと思っている。特に序盤の数カ月と終盤戦ではね。今シーズンゴールアシストの数が増えただけだ。でも間違いなく、今はここでの生活を心から楽しめていると思う。昨年よりもクラブに慣れたし、ロンドンという街でも快適に過ごせるようになったからね。チェルシーにいられて幸せだし、キャリア史上最高のプレーができていると思っているよ。

――マウリツィオ・サッリがチェルシーで成功できなかったのはなぜだと思う?
最大の問題だと思うのが……いや、最大にして唯一の問題は、メンタル面での違いがあったことだと思う。サッリ監督はイタリア流の厳格なスタイルを採用して、イングランドスタイルと衝突してしまった。イタリア人は大抵、戦術にすごくこだわるし、それが完璧に遂行されるように求めるけど、短期間で成し遂げるのは難しい。でも今振り返ると、サッリ監督のもとでも僕たちはいいプレーができていたと思う。結果を見れば分かる。ヨーロッパリーグタイトルを手に入れたし、リーグカップでは決勝に進出して、CLの出場権も手にした。つまり、安定したパフォーマンスを見せられたってことだよね。最終的に、メンタル面での違いが大きすぎたんだと思う。でもサッリはいまだに最高の監督だ。チェルシーを去ってすぐにユヴェントスに引き抜かれたことが、その証拠だよ。

――ランパード監督の印象は?
クラブが新監督としてフランクの名前を発表したとき、正直、何も想像ができなかった。僕はサッリ監督が率いるチェルシーにやってきたばかりだったから。でもランパードは特別な、素晴らしい監督だよ。プレーヤーのときと同じキャラクターでいてくれる。僕たちはそこにインスパイアされているんだ。すべてに全力を尽くす。練習も昨シーズンとは大きく違っているし、毎回がチャレンジングだ。サッリとランパードの最大の違いはそこかな。正直に言ってサッリのトレーニングは単調だった。戦術を徹底するために同じような練習を繰り返していたから。フランクには素晴らしい未来が待ち受けているだろうし、もっと時間をかければチェルシーにさらなる成功をもたらすことができると思う。

――ランパードのチームになって、君の役割や責任感に変化はあった?
とにかく今はプレーを楽しんでいる。それは断言できるよ。たくさんボールに触れるし、自由に動き回ることもできる。だからこそ、いいパフォーマンスが見せられているんだと思う。昨シーズンプレーエリアが固定されていて、僕のプレーも相手に予測されやすかった。サッリはプレッシャーをかけられている状況でロングボールを蹴ることを嫌っていたから、難しい局面もいくつか経験した。一方でランパード監督は、どんな状況でも自由を与えてくれるんだ。相手にプレーを読まれることも少なくなったし、いい戦術だと思う。今シーズンはいろいろな形でゴールを決められているしね。

――CLのグループステージの戦いぶりは、多くのフットボールファンを引きつけたね。自信はあった?
勝ち抜けると信じていたよ。僕はやっぱり勝つことが好きだし、常に勝つと信じている。チェルシーはなかなかCLで勝てないという声も聞くから、特に今はより強く、そう信じていないと。グループステージの結果を見れば、いかに突破が難しかったかが分かるよね。バレンシアチェルシーが勝ち点11で、アヤックスが10にまで迫っていたんだから。今はバイエルンを倒して、準々決勝に進出することだけに集中しているよ。僕たちは、もっと前進できる。

※この記事はサッカーキング No.011(2020年3月号)に掲載された記事を再編集したものです。

今シーズン、チェルシーに完全移籍したマテオ・コバチッチ[写真]=Getty Images


(出典 news.nicovideo.jp)