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 デポルティーボ・ラ・コルーニャのスタジアムは街を囲む湾の先に立っている。

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 湾を挟み反対側から眺めると、試合前の照明が灯台のようにあたりを照らしている。蒼いマフラーを巻く人々がその光に引き寄せられるように海辺の道を進んでいく。随分と昔に感じられるようになった栄光の時代も、2部リーグ降格が決まった苦難の時も、彼らはずっとチームを支えてきた。

 ほんの少し前まで、海辺を歩く人々の表情は不作の年の農夫みたいにどんよりと暗かった。

 あろうことかデポルは今季2部リーグの最下位でもがき続け、上昇の兆しはまるで見えなかった。かつてレアル・マドリードバルセロナの2強を抑えリーグ優勝したこともある名門の3部降格も間近——そう言われた。

 しかし崖っぷちにいたチームは急に立ち上がり、破竹の勢いで順位を上げることになる。年末からの連勝は前節の引き分けで止まったが、降格圏を抜けだし今ではリーグ中位だ。気の早いファンは1部昇格プレーオフ出場圏内となる6位も目指せると息を巻く。

 復活を遂げつつあるチームの中心で躍動するのが柴崎岳だ。

「この連勝も自分の中では不思議ではない」

「替えのきかない存在」(マルカ紙)

「生まれ変わったガク」(ラ・ボス・デ・ガリシア紙)

 ベンチが多かったシーズン前半戦から置かれている立場は一変した。冷静に状況を見据えるいつもの表情の奥に、たしかな充実感がうかがえる。

「試合にも出ているし、いまは充実している。物足りない自分や足りない部分も感じてはいるけれど、いつものように試合を重ねるごとに改善と次の試合への準備を繰り返している。毎試合良くしていきたいし、良くなっている。結果も出ているし、この流れに乗って1試合1試合戦っていきたい」

 復活劇の最大の要因は監督交代と新戦力の加入だ。昨年末、今季3人目となる監督フェルナンド・バスケスの就任が決まった。先発の顔ぶれも変わり(柴崎もこのタイミングで先発復帰することになる)、年が明けてからリーグ戦では6勝1分け。新加入のFWサビン・メリーノはさっそく得点をもたらし、会長とスポーツディレクターなどクラブ上層部も一新された。大改革はチームを取り巻く空気を変えることになる。

 変わったことのひとつとして柴崎が指摘するのは練習へのアプローチだ。

「以前は練習でのチームの取り組み方や態度があまりよくなかった。そこは変わった部分かな。いかに日々の練習が大事かという再確認ができている。だからこの連勝も自分のなかでは不思議ではない」

 どこか緩かったチームの雰囲気も改善し、結果もついてくるようになった。戦い方が固まっていく中で、柴崎自身のパフォーマンスも上がっている。特にバスケス監督の信頼は大きく、指揮官は「日本代表でのプレーを見たが、彼のプレーの質は疑いようがない。私は秘めた才能をひき出してあげるだけだった」と全幅の信頼を置く。

期待の声もいつしか批判に

 今季前半戦は満足いくものではなかった。序盤は先発が続いたが、開幕戦こそ勝利したものの、以降は12月末まで4カ月間も勝てなかった。これほど長い間チームが最下位にいるというのは、柴崎にとっても初めての経験だった。

 昨夏、クラブが目玉のひとりとして獲得した柴崎にファンは大きな期待をかけていた。しかしチームは最下位に沈み、期待の助っ人の姿はベンチにあった。時が経つにつれ、当初の声援は批判へと変わっていく。

 12月のサラゴサ戦のことだ。

 試合後(この日も惨敗だった)、柴崎がスタジアムの正面出口から歩いて出てきた。待ち構えていたのは選手たちに抗議しようと目の色を変えたサポーターの集団だった。暴言が飛び交う。警備員が一部のファンを抑える。混沌の中、顔色変えることなくすたすたと夜道を歩いていく柴崎の度胸にも驚かされたが、溜まった人々の不満は選手個人にも向けられるようになっていた。

 そんな頃、柴崎は自らのプレーについても想いを巡らせていた。

「いつからか、俺ってなんでこんなに小さくまとまっているんだろうという感覚があった。いつのまにか意識がちょっと違う部分に行っていたかもしれない。選手としてもっと魅力がある選手に、ピッチの中で違いを見せられる選手にならないと。自分自身、若い頃はみんなにすごいなと思わせる選手になりたかった。でもいつのまにかそういう意識が薄れていた。チームの約束事にはまっているだけの選手じゃなくて、試合の中で違いを出していく選手になりたい」

 柴崎がスペインに来たのは3年前のことだ。鹿島アントラーズクラブW杯を戦い、レアル・マドリード相手に2得点を決めた。彼はまさに差を生むことのできる選手だった。それがあったからこそ、スペインへの扉は開けた。

 その後、テネリフェで半年、ヘタフェで2年間を過ごす中でプレーの選択は少しずつ変化していく。周囲の柴崎評も彼の自己分析を裏付けている。

 スペイン移籍後、日本代表の試合でも球際の強さと守備時のポジショニングが評価されるようになった。後方をカバーチームバランスを取る、力強い守備者としての働き。守備を絶対軸とし、攻撃は時間をかけずに縦に素早く展開するヘタフェのサッカーでは、中盤の選手にはそんな役割が求められていた。2年間をヘタフェで過ごす中で、思考が自然と戦術やバランスの方に寄っていたのだろう。

気付かぬ間に見失っていた持ち味

 環境が変わる中でそれまでと違った特長が身につくというのは、選手としてはプラスである。球際の強さや守備は欧州でミッドフィルダーとして戦う上で欠かせない能力だ。しかし元来視野が広く、周囲が見えてしまうが故にバランスに気を使うことが増え、前方向へのプレーや意外性、遊びを織りまぜたプレーは減っていった。

「自分のいい部分をいつの間にか失っていた。ヘタフェでの2年間は得たものもあれば失ったものもある。今後は忘れかけていたプレーする喜び、そういった部分を呼び起こしてうまく融合できたら。練習からそれを意識しているし、試合に徐々に出ている感じはある」

 苦しい時期を過ごす中で気がついたこと。彼の思いはこれからどこまで具現化されるだろうか。それはワールドカップ予選を戦う日本代表、そしてオーバーエイジ枠として招集される可能性の高い東京五輪代表にとっても好材料となるはずだ。

 沈みかかかった船は体勢を立て直し、デポルは彼方の目的地に向けてすいすいと進んでいる。まだ残留が決まったわけではなく、シーズン終了までは3カ月もある。3部降格を避けるための奮闘は続くだろう。華やかな舞台、1部昇格の望みも繋ぎながら。

 思えば柴崎がスペインにきてからというもの、ものごとがすんなりと進んだ、簡単だったといえるようなシーズンはない。毎年そこには喜びと苦しみがあった。到着したばかりのテネリフェでは序盤に体調を崩しデビューまで時間を要した。その後、チームを牽引する活躍でプレーオフ決勝まで導くも、決勝で敗れ昇格はならず。2年目のヘタフェではバルサを相手に豪快なゴールを決め世界に名を知らしめたが、直後に負傷離脱。その間にチームは固まり、以降はベンチを温める日が続いた。そして今、デポルで激動のシーズンを戦っている。

「常にうまくいく時もあれば、うまくいかなかった時期もある。そういう中でも、気持ちや取り組みを切らさずに自分なりに続けてこられたというのが今につながっていると思う」

 この後、デポルと柴崎には何が待っているのだろう。

 少なくとも、試合後の夜道に抗議の声は飛ばない。ため息に包まれ、どんより曇っていたスタジアムは、今では熱狂の渦だ。

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スペイン2部デポルティーボ・ラ・コルーニャの日本代表MF 柴崎岳(写真:なかしまだいすけ/アフロ)


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