(出典 football-tribe.com)



 昨年ロシアW杯が終わり、日本代表メンバーも大きく様変わりした。主将だった長谷部誠をはじめ、本田圭佑酒井高徳が代表引退を宣言。新生日本代表では、攻撃的MFの堂安律、南野拓実中島翔哉というニューフェイスが活躍し、世代交代を印象付けた。他にも現在は負傷中だが、東京五輪世代(1997年1月1日以降生まれが対象)の冨安健洋もすっかりレギュラーを獲得し、18歳久保建英も招集されるようになった。次のW杯が行われるのは3年後の2022年で、そこにピークを合わせることを考えれば、現時点では多少若い選手を中心に構成しチームを成長させていこうとするのは当然のことだ。

異彩を放つ最年長のGK

 そんな中、異彩を放つのは最年長・川島永嗣存在感である。83年生まれの川島は01年生まれの久保とは18歳違い。ロシアW杯後、一旦は代表に呼ばれなくなっていたのだが、6月のコパ・アメリカメンバー入り。3戦したうちの2試合に出場し、実力が健在であることを見せつけるとその後も全ての代表戦に呼ばれるようになる。先日のW杯予選キルギス戦でも出場こそなかったもののベンチからチームを鼓舞し、親善試合ベネズエラメンバーにも入っている。10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアと3大会でゴールを守ってきた功労者であり大ベテランが、すっかり22年カタールを目指す一員となったのだ。

 川島がすごいのは、一旦どん底に突き落とされてから復活する力だ。15年夏に当時所属していたベルギーのスタンダール・リエージュを退団。ステップアップを目指したが、15/16シーズン序盤は所属クラブが決まらず。ようやく決まったのは、欧州の主要リーグの新シーズンが始まってから約4ヶ月後の11月だった。その間、文字通りひとりでトレーニングを行い、知人伝いにGKを探しているというクラブの話を聞けば練習に参加したり話し合いの席に着いた。そのわずか1年前にはW杯で正GKとしてプレーし、15年1月もアジアカップに出場していたのに、だ。仮にも日本のナンバーワンGKがシーズンの半分近い期間を浪人して過ごすのは異常事態だ。それでも「日本に帰る選択肢はない」と欧州での道を模索した。当然ながら、浪人の期間は日本代表にも選出されなかった。川島の欧州での動向を妨げないという意図もあっただろうが、GKの世代交代も図っていた。だが、結局は16年3月に代表に返り咲き、当初はサブながら、17年からロシアW杯までの間は正GKの座を守り抜いた。

フランスクラブに「第3GKとして獲得する」と言われ……

 15年11月から所属したスコットランド1部リーグダンディー・ユナイテッドにそのシーズン限りで別れを告げると、次のステージとなったのは欧州5大リーグの一つフランス1部リーグのメッスだった。だが、条件は厳しいもので「第3GKとして獲得する」とわざわざクラブは公式に発表した。フィールドプレーヤーとは違い、第3GKにチャンスが回って来ることは稀で、ベンチに入る回数すら限られる。当時既に33歳だった川島には、若手の手本となること、いわば練習パートナー的な役割が与えられたわけだ。だが、そんな屈辱的とも言える状況からも川島は復活する。シーズン終盤には出場機会を掴み結局5試合に出場した。練習態度と試合でのパフォーマンスで認めさせたのだ。そして、その翌シーズンとなる17/18シーズンは正GKの座を奪い取った。16年の契約時には、クラブの誰もが試合でのプレーなど期待していなかったし、コーチ陣や首脳陣から「この歳でまだこんなに真剣にプレーするのか」と驚かれたそうだ。

 18年からは同じフランスのストラスブールに移籍、契約期間は1年だった。ここでもメッスと同じ第3GKとしてスタート、試合に出ることができたのは最終節だけだった。普通であれば次を探すはずだったこの夏、川島はストラスブールとさらに2年間の契約を勝ち取った。今季は試合出場はおろかベンチ入りもまだないが、本来であればすでに36歳の日本人のGKとわざわざ2年間も契約する必要もないはず。ここでも鍵となったのは、若手の手本であり真面目な姿勢だったのだという。

 だが重要なのは、川島自身は、決して若手の手本であることに満足していないということだ。若手の手本であろうとして、真面目に取り組んでいるわけではなく自分が試合に出るために、最高のパフォーマンスを発揮するために取り組んだ結果、若手の手本になっているということだ。

「正直試合に出なければ意味がない」と川島

 当然、この夏の2年契約に関しても、満足はない。

「正直、“勝ち取った”とは思ってないし、正直試合に出なければ意味がないと今でも思います。そのために自分に何が必要か常にもがき続けなければいけない。(第3GKから正GKにのぼりつめた)メッスで2年間やったときに掴めた自信はそれはそれで、持ち続けてやらなければいけないし。だから、契約をこの年齢で2年勝ち取ったことに満足なんてしてないし、ほんと、また自分がピッチにたって最高のパフォーマンスをするためにはどうしたらよいかという、1日1日の勝負だなと思います」

「僕は性格的に諦めが悪くて……」

 ただでさえ、GKは日本人が欧州で結果を出すにはハードルの高いポジションだ。36歳での2年契約を幸運なモラトリアムと捉え、先のこと、帰国してプレーすることや、セカンドキャリアを考え始めてもおかしくない。でも、川島はそうではない。いちプレーヤーとして若い頃に比べ、クリアに見えていることも多いのだとさえいう。

「若い時に試合に出られなかった時は(どうしたら良いか)見えないことが多かった。自分がどういうプレーをしたいのかという明確なイメージが見えづらかった。今の自分にとってはそういうものがあるし、そういうものを追いかけてるという感覚は毎日あります。見えない中を進んでいるという感覚ではないですし。ポジションを奪うということも含めて、自分がどれだけそこ(理想のプレー)に近づいていけるか、毎日の中でやってくという感じです。その先にしか自分にとっても道はない。そういう意味では、常に追い詰められてますし、常に自分を見つめてやっていきたいなと思います」

 転んでも転んでも立ち上がってきた。そんなキャリアの積み重ね方は自身の性格に起因するともいう。

「可能性を諦めることはいつでもできます。僕は性格的に諦めが悪くて、その諦めの悪い性格でここまで来てるので。自分自身、自分らしい選択、自分らしいキャリアって何かなと考えた時に、可能性があるところで自分は諦めたくない。逆にできると言う自信が自分にあるし、それがある限り続けると言うのが自分の選択肢かなと思いますけど」

 年齢を重ねると、経験は増えるが当然ながらフィジカル的には衰える。アスリートとしてはどんどん分は悪くなっていく。それでも全く諦めない、諦めの悪い川島の生き方からは学ぶところが大いにあるような気さえするのだ。今後さらに若返るであろう日本代表だが、もしかしたら川島がカタールの地で戦っているなんていうことさえあるのかもしれない。

(了戒 美子)

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