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    2020年07月

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    (出典 amd.c.yimg.jp)



    サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。

    今回はスペイン代表MFイスコレアル・マドリーで決めた美しいゴールだ。



    2012-2013シーズンチャンピオンズリーグ(CL)初出場ながらベスト8に進出するなど、快進撃を見せたマラガの中心選手として脚光を浴びたイスコ。この活躍から2013年夏にマドリーへ移籍した。

    ドリブル、パス、シュートと、どれをとっても一級品の実力を持つイスコは、スター軍団が集まるマドリーの中でも屈指の名手として人気を集めるが、2018年5月12日に行われた、ラ・リーガ第37節セルタ戦では、観客が息を吞むような美しいゴールを決めている。

    イスコアシストなどで、2-0とリードして迎えた32分、中央突破チャンスを作ったマドリーは、MFトニ・クロースが左サイドに開いていたイスコへパスを出す。

    これをボックス左端の手前で受けたイスコは、相手DFと一定の距離を保ちながら、カットインで一瞬シュートコースを得るとすかさずシュート。右足から放たれたシュート美しい弧を描きゴール右隅に吸い込まれた。

    イスコの1ゴール1アシストなどで、前半だけで3-0としたマドリー。後半にもさらに3点を加え、6-0で大勝を収めている。

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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     東欧のセルビア浅野拓磨は欧州4年目のシーズンを戦い抜いた。公式戦37試合出場して9ゴールマーク2016年夏から欧州で挑戦を始めて以降、1シーズンで最多となる試合出場数とゴール数だ。新天地1年目で、もがきながらも結果を残した。だが、欧州での覚醒には、まだまだ暴れ足りない。

     2019-20シーズン開幕前の夏、浅野は移籍先を模索していた。ドイツでの3シーズンで思うように結果を残せなかったことで、新天地探しは難航する。そんな中で古巣のサンフレッチェ広島への移籍話も浮上していた。「僕自身も広島に強い思い入れがあるし、広島も僕の状況を見て必死に助けようとしてくれた」と本人は明かしたが、それでも「ヨーロッパプレーしたい気持ちはほぼ固まっていた」。

     それは2016年の夏、涙ながらにファンへ成長を誓って広島を旅立った、あの時の思いが変わらず胸にあったからだ。「僕がアーセナルへの移籍を決めた時、4年契約を結んだなら何がなんでも4年は日本に戻らないという覚悟で海外に出ました。ヨーロッパプレーできる限りは、できなくなるまで挑戦したいという強い覚悟を持って出たので、そもそも(日本に)戻るという可能性はゼロに等しかったです」

     最終的に選んだのはセルビアだった。FWルカ・ヨヴィッチ(レアル・マドリード)やMFネマニャ・マティッチ(マンチェスター・U)らを輩出した国として知られているが、一方で国内リーグとなると馴染みは薄い。当初、浅野はセルビアへの移籍に難色を示していたものの、セルビアスーペルリーガで最多8回の優勝を誇る強豪パルチザンが諦めることはなかった。最後はクラブの熱意に心を打たれて、浅野は未知の世界に飛び込む覚悟を決めた。

    「正直に言うと、セルビア以外の選択肢はあまりなかった。自分もすごく悩みましたけど、セルビアには覚悟を持って来ています。(ドイツからセルビアへの移籍が)僕としてはマイナスになると思っていないけど、周りから見たらステップダウンしたと見ている人もいた。だからこそ、スタートから本当に強い気持ちを持って挑みました」

     新天地でデビューを飾ったのは、昨年8月8日に行われたヨーロッパリーグ(EL)予選3回戦のイェニ・マラティヤスポル戦。後半開始から途中出場すると、67分に味方のスルーパスで抜け出して右足を思い切り振り抜いた。初戦でありながら、味方との相性の良さが伺えた挨拶代わりの一発。強い気持ちを表すような最高のスタートを切り、順風満帆なシーズン送る……かと思われた。

    セルビアでの初戦でゴールを取ったけど、勘違いさせてくれなかった。サッカーの神様は厳しいなと思います」。鮮烈デビューを飾った浅野はチーム定位置こそつかんだものの、肝心のゴールからは遠ざかった。「どこに行ってもそうですけど、まずは結果が目に見えないと、次のステップに登れない。レベルアップ、ステップアップするためにセルビアを選んだので、リーグ戦とELを含めて、まずは目に見える結果を出していかないといけない」

     セルビアは欧州のリーグレベルを表すUEFAカントリーランキングで19位(2019-20シーズン)。前年度までプレーしていた3位のドイツからは大きくランクが落ちる。「ブンデスリーガでやっていた時と比べると、全体的にレベルは劣ってしまうのかなと感じます」と浅野は率直に話したが、同時にセルビアでの厳しさも実感していた。

     「ただその中でも、対戦相手一人ひとりの身体能力の高さ、フィジカル面、1対1の強さ、そして何よりもアグレシッブさは日本では経験できないものです。一人ひとりが突っ込んでくるぐらいのディフェンスをしてくる。ここで結果を出すのも簡単なことじゃない。そのくらいのレベルだと感じています。自分がやるべきことを毎日やりながら高みを目指してやらないと、このリーグでさえも(自分は)潰れてしまうんじゃないかと思います」

     浅野はパルチザンで主に左サイドハーフもしくは左ウイングプレーした。ドイツでのサイド起用ではチャンスメイクや守備への貢献が重要視されていた。それがパルチザンでは、ゴールに近い仕事を求められている。DFとの駆け引きや裏への飛び出しといった自分自身の武器がより生かせる環境だった。

    「そこは絶対に、僕に求められているプレーです。逆にそれをしなければ生き残っていけないと思う。ドイツでも裏への勝負や自分の個を生かすことはある程度できていました。パルチザンではボールを支配する時間がドイツより多い。なので、(裏へ抜け出す)タイミングが伺いやすいんです。やりやすさを感じているからこそ、結果を絶対に残さないといけない」

     ただ、新しい環境でのプレーは一筋縄ではいかなかった。セルビアピッチの内外を問わず、今までと全く違う世界だった。リーグを象徴する国内トップ2のツルヴェナ・ズヴェズダ(レッドスター)とパルチザンが激突する“ベオグラードダービー”では、当然のように発煙筒や花火が飛び交い、スタジアムは燃えているように赤く染まる。試合中でも突然爆竹が鳴り響き、両チームサポーターや選手たちは殺伐とした緊張感を漂わせる。文字どおり熱狂的で、ドイツとはまた異なる雰囲気を放っていた。環境が変われば、当然そこへの適応が必要になる。浅野には自分のリズムをつかむまで辛抱の時間が続いた。異国の地での挑戦は、いつだって自分自身と向き合いながらの戦いだ。

    「今のままでは終われない」。結果が出ずに焦りを感じていた中でも、浅野は常に自分自身にそう言い聞かせて前を向いた。「海外に来てから結果を残せていなくて、常にメンタルの部分で試行錯誤していました。どういう気持ちで試合に臨むのか、どういうメンタリティで臨むのかというのはいつものように悩んでいます。結果以外で自信を得られるのは、日々の過ごし方だと思っています。人よりもトレーニングしたり、これでいいのかって自問自答したり、もっとやろうと意欲的になったり。そういう日々の繰り返しが自信になって、それが今後の自分につながると思っています」

     待望のゴールを決めたのは、新天地デビューから約3カ月後の11月10日。自身の25歳の誕生日だった。第16節のインジヤ戦で自ら得たPKを沈めてついにリーグ戦初ゴールを決めた。適応に時間はかかったが、このゴールがきっかけとなり、ため込んだ鬱憤を晴らすように調子を上げた。前半戦最後の1カ月でリーグ戦3ゴールを記録し、マンチェスター・U、AZ、アスタナと戦ったEL本戦でも計2ゴールを挙げた。

     なかでも、昨年11月28日のAZ戦では、味方のロングボールに反応してタイミング良く抜け出すと、絶妙なトラップから冷静にGKの位置を見極めてフィニッシュ。持ち味のスピードを生かした飛び出しと少ないタッチで見事にEL初ゴールを仕留めてみせた。「本当にイメージ通りのゴール。あの落ち着き方は僕らしくなかった(笑)」と本人は自虐的に言ったが、欧州の舞台で“浅野らしさ”と笑顔のジャガーポーズを披露した。

     シーズン後半戦は2月にスタートしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により約1カ月で中断を余儀なくされた。それでも、約2カ月半にわたる中断が明けると、浅野は再開初戦から2試合連続で計3ゴールを挙げる好リスタートを切った。ステイホームの期間でも自宅で音楽を聴きながらノリノリでトレーニングをする。そんな姿をSNSで公開していたように、先が見えない状況でも、いつもと変わらず前向きに準備した証だろう。

     2019-20シーズンは3年ぶりにシーズンを通じて戦った。新型コロナウイルスの影響によりリーグ戦のプレーオフは中止となった。開催試合数が減ったものの、浅野は欧州で1シーズン最多の公式戦37試合に出場した。「試合ができることの楽しさは、このチームに来て改めて感じている」とうれしそうに語っていたように、シーズンを戦い抜いたことに充実感を覚えているはずだ。加えて、リーグ戦で4ゴールカップ戦で2ゴール、予選を含むELで3ゴールを挙げて、欧州でのキャリアハイとなる9ゴールを記録した。セルビアという新たな環境や、ドイツでは体感できなかったELという舞台で結果を出せたことは大きな手応えとなっただろう。

     ただ、それは欧州4年目でやっとストライカーとしてのスタートラインに立てたに過ぎない。ドイツでは3シーズンで公式戦60試合に出場して計6ゴール。日本で見せていた決定力は影を潜めて、1部での2シーズンでは不遇の時期を味わった。セルビアでの初シーズンは手応えこそ感じたはずだが、以前から目標に掲げていた「シーズン2ケタ得点」に1ゴール届かず、覚醒にはまだ程遠い。チームとしてもリーグ戦で宿敵のツルヴェナ・ズヴェズダに3連覇を許し、カップ戦も決勝に進出しながらPK戦で敗れて準優勝で終わった。タイトル獲得に貢献できなかった浅野本人もこの結果に決して満足はしていないはずだ。

     日本を旅立つときに覚悟を決めた節目の4年間が終わった。広島でのラストマッチではファンに「世界で暴れてこい」という言葉で送り出されたが、浅野はまだその期待には応えられていない。欧州5年目となる来シーズンは、パルチザンとの3年契約の2年目。欧州でプレーを続けるにしても、ステップアップを目指すにしても、何より結果が必要な1年になる。

     2020-21シーズンセルビアスーペルリーガ7月31日に開幕する。パルチザンが掲げるのは4シーズンぶりのリーグタイトル奪還。それには浅野拓磨ゴール量産が不可欠だ。ジャガーの得点本能の覚醒がタイトル獲得のカギになる。新シーズンこそ、大暴れのとき。

    パルチザンでプレーする浅野拓磨 [写真]=Getty Images


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    サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。

    今回は元コートジボワール代表FWディディエ・ドログバ氏の勝負強さが詰まったゴールだ。



    マルセイユブレイクし、2004年チェルシーへ加入したドログバ氏。強靭なフィジカルとパワーを活かして多くのゴールを決めてきたドログバだが、その大舞台での勝負強さは誰もが認めるもので、数々のビッグゲームで重要なゴールを決めてきた。

    そんな“ビッグゲームプレイヤードログバ氏を語る上で欠かせないのが、2012年5月19日に行われた、チャンピオンズリーグ(CL)決勝、バイエルン戦で見せた劇的同点弾だ。

    ドイツ絶対王者バイエルンホームアリアンツ・アレーナで開催されたこのシーズンのCL決勝。シーズン途中の監督交代などで、リーグ戦で低迷していたチェルシーを、盤石の強さを誇るバイエルンが迎えた一戦となった。

    バイエルンの圧倒的有利とする下馬評通り、序盤から防戦一方となるチェルシーは、バイエルンの猛攻を防ぎ続けたものの、83分についに失点を喫する。それでも絶体絶命かと思われた88分、劇的なゴールが生まれる。

    コーナーキックチャンスを得たチェルシー。試合終了間際、最後のチャンスとなることが濃厚だったこのプレーで、キッカーのMFフアン・マタがアウトスイングのボールを入れる。これにニアポストで合わせたドログバが、ゴール右隅の完璧なコースに強烈なヘディングを叩き込む。これには相手GKマヌエル・ノイアーも触るのが精一杯。ボールはGKの手を弾き、ゴールネットの上部に突き刺さった。

    ドログバの見事なヘディングにより、土壇場で望みを繋ぐことに成功したチェルシーPK戦に持ち込むと、ドログバが優勝を決めるPKを流し込み、クラブ史上初となるCL優勝を果たし、伝説となった。

    また、この勝利によりプレミアリーグ6位に終わっていたチェルシー2012-13シーズンのCL出場権を獲得。シーズンを4位で終えたトッテナムヨーロッパリーグへと回ることとなった。

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     アディダスは、レアル・マドリードが2020-21シーズンで着用する新ユニフォームを発表した。

    ◆●世界中が知る伝統的デザインが更にアップデート

     ホーム仕様の新ユニフォームは、「勝利へ導く不屈の精神」がコンセプトとなってデザインされている。2019-20シーズンに苦しみながらも“全員攻撃・全員守備”のサッカーラ・リーガ王者に輝いた“白い巨人”のメンタリティが反映された、王者にふさわしい一着となった。

    ◆●誇りと自信をもたらす大胆なアウェイカラー

     アウェイキットは、少しくすみがかかったスモーキーピンクカラーで仕上げられている。「選手とサポーターに誇りと自信をもたらす」というコンセプトが、大胆なカラーリングで表現されている。

     アディダスの発表では、「偉大な選手たちが袖を通すことで、世界中に知れ渡る伝統的デザインの一着は更なる高みへ」と記されている。オフィシャルヴィジュアルに登場したカリム・ベンゼマをはじめとした世界最高峰の選手たちがこのユニフォームを身にまとい、来季は王者としての戦いに挑む。

    レアル・マドリードの新ユニフォーム [写真]=adidas


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    [サッカーキング アジアサッカー特集号(2019年10月号増刊)掲載]

    2012年より本格的にアジア戦略を推進してきたJリーグ。果たして、アジア各国ではどのように情報が展開され、どのくらい浸透してきているのだろうか。インドネシアにおけるJリーグの認知度は、まだまだ高いとは言えないのが現状だ。リーグクラブが続けている指導者派遣や定期的なクリニックなどの地道な活動が、Jリーグの認知度を高める方法の一つになるのかもしれない。

    イニエスタが神戸に加入したインパクトも届いているが……

     インドネシアJリーグの話題を聞くことは正直ほとんどありません。しかし、それは人気がないわけではなくて、「よく知らない」と言ったほうが正しいのだと思います。

     これは大いにインドネシアの特殊性が関係しています。そもそもインドネシアには、日本のおよそ2倍の人が住んでいて、面積では5倍となる国。島国のため物流インフラが分断される地域もあり、この大きな国の多彩な人々に情報を届けるには、スマートフォンが普及するまでは、全国放送を使うくらいしかありませんでした。

     かつて「Metro TV」、「MNC」などの地上波テレビ局で放送されたJリーグ中継は、「スカパー!」のアジア進出に合わせて衛星テレビ局の「Waku Waku Japan」に代わり、「DAZN」の配信が中心となった今ではブラウン管から姿を消しました。
     ブラウン管テレビインドネシアではまだ現役。サッカーは、近所のワルン(大衆食堂)のテレビに集まって見るのがインドネシアスタイルなのです。

     選手はなかなかJリーグに移籍しないし、AFCチャンピオンズリーグでもプレーオフより上に行かないから、Jクラブとの対戦もない。もちろん、サッカー関係者やメディアは、近年ジャカルタプレーしたFC東京ガンバ大阪の名前を覚えています。アンドレス・イニエスタヴィッセル神戸に加入したインパクトも届いています。ですが、大衆にとってJリーグはまだ遠い存在、そもそも見たことがない存在と言えます。

    Jリーグ認知を高めていくには感情移入できる選手が必要

     では、この国のファンに人気があるのは、どのリーグか? それはズバリ、リーガインドネシアです! 人気があるどころか、熱狂的、狂信的という表現のほうが合っているかもしれません。彼らにとってインドネシアは決してサッカー後進国ではなく、ここ最近、ほんの20~30年間勝てなくなっているだけなのです(笑)。スタジアムは満員、テレビ中継もあり、とても恵まれた環境です。

     その隙間に入り込む形となる海外サッカーは、リヴァプールバルセロナが圧倒的にリードワールドカップの放送を通じて、サムライブルーも人気があり、“ロストフの死闘”は驚くほど多くの人が知っています。人気ある日本人選手は、現地で9シーズンプレーする松永祥兵と、圧倒的に名字を覚えやすいアドバンテージもある本田圭佑。これからは「ジャパンメッシ」として知られる久保建英が伸びていくでしょう。

     Jリーグ認知を高めていくには、映像をテレビネット配信、SNSに乗せていくのがセオリーとなるのでしょうが、まずそれらのきっかけとコンテンツとなる、ファンが感情移入できる選手が必要です。

     ヴァンフォーレ甲府北海道コンサドーレ札幌プレーしたイルファン・バフディム、同じく札幌でプレーしたステファノ・リリパリは現在でも人気です。Jリーグ移籍によって評価を高めた彼らのユニフォームは飛ぶように売れています。ただ、2人の後に続く選手が出てこないのが残念なところ。「インドネシアイニエスタ」と呼ばれるエヴァン・ディマス、破壊的なスピードを持つフェブリ・ハリヤディなどは移籍の噂が立ちますが、実際にJクラブが動いたという話は聞きません。

     動向に注目したいのは、昨シーズンポーランドリーグプレーした2000年まれのエギー・モウラナ。ヨーロッパクラブからオファーを受ける逸材で、インドネシアサッカー選手の新しいキャリアを切り拓く存在になるかもしれません。

     もう一人、唯一のインドネシア人JリーガーであるAC長野パルセイロリュウ・ヌグラハ。長野で生まれ育ち「専門的な指導を受ければもっと成長する」とクラブの代表である堀江三定氏の目に留まり、地元のJクラブ入りを果たしました。まだ有名ではありませんが、クラブを代表できる選手を目指してほしいものです。

     Jリーグクラブが続けている、指導者派遣や定期的なクリニック開催も堅実な活動です。インドネシアではユース年代の選手が溢れ出てきますので、日本の指導者の確かな目で優れた才能を選び、ヌグラハのように10代のうちから日本で練習に参加できたり、移籍できるようになることが、遠回りながらもJリーグプロモーションの近道ではないでしょうか。

    文=長谷川雅治

    ※この記事はサッカーキング アジアサッカー特集号(2019年10月号増刊)に掲載された記事を再編集したものです

    [写真]=Getty Images


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