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G大阪ジュニアユース出身もユースへ昇格できず…東山高校に進学

 日本代表MF鎌田大地フランクフルト)が代表初ゴールを挙げた。日本代表は10日、カタールワールドカップ(W杯)アジア2次予選モンゴル戦(埼玉)に6-0と快勝。後半16分から途中出場した鎌田は5-0の同37分、MF遠藤航(シュツットガルト)のミドルシュートを相手GKが弾き、そのこぼれ球を頭で押し込んだ。ガンバ大阪ジュニアユース出身の鎌田は、ユース昇格が叶わず、京都・東山高校へ進学。同校の福重良一監督は3年間かけて精神面を鍛え上げた。

 国際Aマッチ3試合目でつかんだ代表初ゴール。鎌田は、後半16分、先制点を挙げたMF南野拓実(ザルツブルク)に代わってピッチに立った。大声援を受けて立った初めてのW杯予選。5-0で迎えた後半37分、遠藤のミドルシュートを相手GKが弾き、こぼれ球に反応した。浮き球を頭で押し込み、代表初ゴール。初得点後は喜びよりも安堵の表情を見せた。

 今季はドイツ1部フランクフルトで公式戦16試合出場と活躍する。2017年に鳥栖から完全移籍した時は、「試合に出られるイメージがなかった」と言うほど出場機会には恵まれなかった。だが昨季、武者修行として期限付き移籍したベルギー1部シント=トロイデンで得点を重ね、今夏フランクフルトに復帰。2年前とは全く違う姿でアディ・ヒュッター監督の信頼を勝ち取った。壁にぶつかっても高みを目指し続けるブレない精神――。その強い精神面は高校時代に鍛えられた。

 G大阪ジュニアユースでは、10代から日本代表入りし、ロシアW杯最終予選でゴールも決めたMF井手口陽介G大阪)と同期。当時からハードワークが持ち味だった井手口に比べると、独特のパスセンスを持ちながらも運動量が足らず、ユース昇格が叶わなかった。高体連へ進むことになり、候補となったのが東山高。初めてグラウンドに現れた鎌田の姿を、福重監督は今でも鮮明に覚えている。

「帽子かぶってイヤホンつけて『なんじゃこいつ』って(笑)。その時、彼は腰を怪我してて、練習はやっていないけど、グラウンドに来て、見て『ここでやる』と言ってくれた。ここで見た時はすごくいいパスとか、相手の裏を取るパスとか常に見ているなという感じがした」

当時から光ったのはパスセンス 「僕らは教えられへん」

 中学3年の夏から鎌田の存在を知っていた福重監督。その時は主力に代わって途中出場した鎌田のパスセンスに驚いた。「ちょっとした時間やったんですけど、スルーパスを狙っていて、その場所がすごく面白い。僕らは教えられへん」。実力を持ち合わせた鎌田は入学後、1年からAチームになった。主力として活躍する力はある。だが、なかなか先発に名を連ねることができず、本人も「1年の時は全然出られなくてつまらない、なんであいつが出てんねん、という感じだった」という。それも課題が明白だったからと指揮官は話す。

「高校サッカーに必要なメンタルとか、中学の時に課題やったハードワークするとか、まだまだ足らなかった。そういうところが足りなかったので、常にフルでは出ていなかった」

 そんな鎌田は、ある一戦をきっかけに変貌を遂げることになる。1年生だった12年の全国高校サッカー選手京都府予選の決勝。京都橘高との対戦で1点を追う終盤、鎌田は同点に追いつく好機を逃してしまった。夏の全国高校総体に出場したチームは、選手権への道が途絶えた。だが、その一戦を機に鎌田にはある感情が芽生えていた。

「彼(鎌田)の口からも出ていたんですけど、途中出場の時に1年生やのに部員100人ぐらい、先輩がすごく応援してくれた。チームのために『やらなあかん』と大会、試合を通じて感じていた。勝負を落としてしまったけど、そこで責任を感じて。サッカーが好きやし、チームのために頑張るというのはその瞬間……やけど、さらに変わったのは主将になってから。最高学年で主将になった時に」

 もともと“ヤンチャ”な少年だった鎌田が、新チームになった高校2年の11月、主将に立候補した。指揮官は驚いたが、鎌田を呼び出して本音で話し合った。

「彼と喋ったのは『これは賭けや』と。『東山がつぶれるのか。今までの伝統をつぶすのはお前かもしれん、賭けや。お前がやって変わったらチームはえらい強くなる』と。わがままやってしまうと、お山の大将になってチームは崩壊する。でも、彼に託しました」

「本当は彼が一番、朝練なんかしたくない」…主将になって“変貌”

 鎌田は変わった。チームのことを考え、まずは自分から。自主練習が終わった後、Bチームの練習も見て仲間を気にかけた。サッカーに集中するため、ルールも作った。朝、登校したら福重監督のところへ携帯電話を預ける。徐々にチームがまとまっていった。

「足りないものを理解しているし。自分が最終学年でやらなという感覚のなかで、エゴイストにFWだけやっていればいいというだけじゃなく、チームをまとめないと、という感覚は持っていた。本当は彼が一番、朝練なんかしたくない。携帯なんか預けたくない、そういうことをしたくない(笑)。反対することを彼が率先して言うから、みんなやらざるを得ないし、やろうか、と。本当に良くなっていった」

 鎌田が変わるまで、分かるまで、指揮官は何度も話した。ベンチで横に座らせて、3年生になってもとことん伝え続けた。「上手くいかなかったら、プイっとすることもあった」というが、プロを目指すと決めていたからこそ「それやったら上にいけないという話もして。大地自身が足りないことに気付いて、成長すれば自然とチームは上がると彼には言ってましたね」。最後には頼れる「主将」に、鎌田はなった。

 あの時の精神面の成長がなければ、プロに進んでいなかったかもしれない。でもあの“ヤンチャ”な姿があったからこそ、今があるのかも知れない。鎌田にとってそれだけ高校3年間はかけがえのないものだったはずだ。(Football ZONE web編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

代表初ゴールを記録した日本代表MF鎌田大地【写真:Noriko NAGANO】


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