恩師の木場克己氏はいかにして2人のフィジカル能力を進化させたのか
欧州のサッカーシーズンがついに開幕を迎えた。日本代表で注目を集めているのはレアル・マドリードに移籍したMF久保建英とバルセロナに加入したFW安部裕葵。世界屈指の名門に移籍した2人の若き才能にはある共通点がある。独自メソッド「KOBA式体幹・バランストレーニング」の開発者でもあるプロトレーナー木場克己氏に長年師事し、フィジカル能力を進化させたことだった。彼らはいかにしてメガクラブに辿り着いたのか――。
小学4年生だった久保少年との出会いは2012年だったと、木場氏は振り返る。
「2012年に、講演会に出席していた建英のお父さんが体幹・バランストレーニングを体験させたいというところが入り口でした。目的は体幹・バランストレーニングで怪我をしない体作りというコンセプトがスタート地点。小4だったので、年齢的にはまだ子供だったので、そこまで筋肉がつくわけではない。体幹の強さより、むしろいかに頭がブレない姿勢を作れるかが大事でした」
当時から長友佑都(現ガラタサライ)らトップアスリートを指導していた木場氏。当時バルセロナの下部組織に所属していた久保の父親からの依頼が“師弟関係”の始まりだった。そこから7年間、久保は木場氏の開発したトレーニングを継続している。
「スタートで建英に言ったことは、いかに成長痛を回避するか。彼には成長する中でも腰痛にならないためのプログラムを開発しました。当時、股関節の硬さと筋肉の硬さという弱点はあった。その半面、サッカーに関してのテクニックは絶大でした。
テクニックの向上につながる体幹とバランス強化のメニューを組みながら、同時進行でテクニックにプラスして体の作り方というテーマに中長期計画で取り組みました。小学生から中学生、中学生から高校生に上がる年齢に合わせた体力作り、トレーニングのメニュー作りというのはすごく大事。その部分を本人に理解させるところからのスタートでした」
小学生時代の久保のトレーニング映像などを振り返ると、確かにストレッチなどでは体が硬く見える。現在はウォーミングアップでは柔軟性を発揮しており、幼少時ですでにフィジカル面の弱点を克服してきた証明でもある。
久保と安部の共通点は「プロ意識の高さ」
一方、安部との出会いは広島・瀬戸内高1年時。同校サッカー部のコンディショニングアドバイザーを務めた縁だった。
「月に直接1度、体幹、バランスを指導していました。2年生までは目立たない存在でしたが、座学で体幹の重要性をずっと説明していました。その中でも必ず長友らトップアスリートの話は出てくる。長友は腰痛を抱えてからのトレーニングのスタートでしたが、体幹を鍛えることで怪我をしない体ができるという認識が、安部にとっては入り口になったと思います。2人とも長年トレーニングを通じて、自分の体の変化に気付いていったと思います」
また久保と安部、両者には大きな共通点があるという。
「プロ意識の高さですね。真面目さ、継続性です。色々なトレーニング、様々なアプローチが存在する中で、自分のメソッドを実直に取り組み続ける。継続は力なりと言いますが、そこは大きな才能です。安部は周囲から色々紹介されたようですが、最終的には『選んだのはKOBAトレですよ』と話してくれたのはすごく嬉しかったですね。
彼は免許のない時代に鹿島から亀戸のジムまで長距離バスでやってきました。建英は自分の講演会まで足を運んできたこともありました。講演の合間の時間にわざわざトレーニングしたい、という熱意があった。凄い才能の持ち主でも、継続性のないアスリートと出会うことがありました。プロ意識が低いままで、才能の全て開花させるケースはあまり多くありません。そこまでするのか、という真剣度が一流の証だと感じています」
そして、強固な師弟関係もまた共通項だという。
「彼らに『今日どんなトレーニングにしようか?』と質問すると、2人の答えはいつも『全部、任せます』と。トレーニングの結果がパフォーマンスや体の進化で表れている。だからこそ『任せる』という言葉になって、100%の努力で取り組んでくれる。ビッグクラブに移籍した2人ですが、そこも共通点でしょうね」
久保はバルセロナ、FC東京、横浜M、安部は鹿島と所属クラブがありながら、木場氏のメニューを欠かさなかった。特性ゴムチューブやファンクショナルマットなどを用いる独自のトレーニングメソッドを誇る木場氏。海外移籍を果たしたサッカー選手のみならず、現在では数々の五輪競技の日本代表候補選手もその門を叩くようになっている。
最大のトレーニング効果を引き出す名伯楽との出会いは日本サッカー界の次代を担う至宝にとって、かけがえのない財産となったかもしれない。(THE ANSWER編集部)
木場 克己
KOBA式体幹バランストレーニング協会代表、プロトレーナー。
小学2年生で柔道を始め小学6年生の南九州柔道大会で優勝・優秀選手賞をもらう。
中学3年生のとき県内の大会のタイトルを優勝で飾る。全九州大会団体の部で優勝・県大会軽量級個人戦2位。
高校でレスリングを始め56kg級九州大会で優勝。インターハイ・国体は団体戦3位の成績。
腰椎圧迫骨折で現役を退き医療人の道へ。
鍼灸師・柔道整復師・FC東京ヘッドトレーナー(1995~2002)・ガンバ大阪ユーストレーニングアドバイザー(2016年~)・長友佑都専属トレーナー
(出典 news.nicovideo.jp)
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