(出典 sakaneta.com)



中島翔哉ポルト移籍は今週月曜のコラムでも触れた。彼には新天地で活躍して欲しいところだが、中島のポルト移籍に驚いている人がいる。J2富山時代に監督として指導し、FC東京でもコーチ・監督として練習後のシュート練習に付き合った安間貴義氏だ。

開口一番、「CL(チャンピオンズリーグ)でも上位に勝ち進める可能性のあるチームですよ」と驚きつつ、「本音を言えばポルトではなくベンフィカに行って欲しかった」と残念がった。

安間氏は今年で50歳を迎える。サッカーファンとしては“オールド”の部類に入るだろう。その年代のサッカー関係者からすれば、ポルトは“新興チーム”であり、やはりポルトガルといえば“黒豹”のニックネームで親しまれ、1966年イングランドW杯で得点王となったエウゼビオ擁するベンフィカ・リスボンの方が親しみやすいからだ。

そんな安間氏が中島や、FC東京U-23監督時代に指導した久保建英の凄さについて、次のように説明してくれた。

「普通、ドリブラーに対しての守備は、顔が上を向いている状態、いわゆるヘッドアップしているときは周囲の状況を把握しているためアタックに行くなと言います。そしてボールを見ているとき、ヘッドダウンしているときは視野も狭いためアタックしろと言います。しかしショウヤやタケフサら天性のドリブラーは、ヘッドダウンしていても周囲にいる敵の気配を敏感に感じられるので対処できるのです」

だからこそ、正対するマーカーだけでなくサイドからアタックに来たDFなど3人の敵に囲まれても切り抜けることができるという。

そして日本人指導者の問題点も指摘した。中島のような“相手を剥がせる”ドリブラーは、日本代表では1980年代に活躍した金田喜稔氏や木村和司(元々は右ウイングだった)以降、なかなかいなかった。

一時期は静岡学園や野洲高校がドリブルにこだわる指導で名選手を輩出し、乾貴士ロシアW杯で活躍したのは記憶に新しいところだろう。

安間氏いわく、「ドリブラーを養成するには、指導者がドリブラーとしての経験がないと、なかなか教えられません」と断言する。

そこで現役時代にドリブラーではなかった指導者は、「早くパスをつなぐことを奨励する傾向が強い」(安間氏)そうだ。

ここらあたり、つい最近まで“個で勝負”するのではなく、“組織で勝負”する日本サッカーの弊害かもしれない。そして、それに輪を掛けたのがバルセロナポジションセッションスタイルではないだろうか。

バルサの「チキタカ」がもてはやされた時代もあったが、それでもメッシはドリブル突破で状況を打開したし、高速ドリブルのベイルレアルの大きな武器だ。

中島の活躍により“ドリブラー”の重要性にスポットライトが浴び、第2第3の中島を育成しようとする指導者が現れるのかどうか。今度機会があったら関塚隆技術委員長に育成について聞いてみたいと思う。

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