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今季は36試合22ゴールプレミア得点王に輝く

 現在はプレミアリーグで最もホットなストライカーの一人とされているアーセナルガボン代表FWピエール=エメリク・オーバメヤンだが、クラブ公式サイトインタビューで、ユース時代にはサッカーを辞めようと考えたこともあったと、当時の苦悩を明かしている。

 オーバメヤンと言えば、フランスのサンテティエンヌ時代(2011~13年)はスピードを武器にしたサイドアタッカーだった。しかし、2013年ドルトムントへ加入すると、ユルゲン・クロップ監督(現リバプール監督)によってセンターフォワードにコンバートされた。

 コンバート後のオーバメヤンの飛躍には目を見張るものがあり、2016-17シーズンには31得点してブンデスリーガ得点王にも輝いた。18年1月の移籍市場でアーセナルへ渡ると、昨季はリーグ戦13試合で10得点。今季は36試合に出場し、リバプールエジプト代表FWモハメド・サラーセネガル代表FWサディオ・マネと並ぶ最多22ゴールマークし、チームエースとして活躍を見せた。

 ACミランのユースに加入する前、フランスのラバル、ルーアン、バスティアでユースプレーヤーとして過ごしたオーバメヤン。ヨーロッパ最高のストライカーの一人となるまでの道は簡単なものではなく、逆境で戦うなど、苦しい時間を乗り越えなければならなかったようだ。

オーバメヤンがユース時代にぶち当たった壁とは…

「私は足が速かったので、トップよりもウイングプレーしていたんだ。いつも速かったし、みんな私は足が速いと言っていたからね。しかし15歳16歳の時、スピードが少し落ちたんだ。両膝に問題があり、以前のように速く走ることができなくなった。そうしたらサッカーへの愛が少し薄れた。クラブにも所属していなかったし、学校にも行かず、ただ家で前向きに考えようとするしかなかった。

 当時は苦しかった。サッカーを辞めることも考えた。でも、毎日一生懸命に練習し続けたんだ。なぜかは分からないけど、頑張ってトレーニングしなければいけないと思った。人生では何が起きるのか分からないからね」

 そうして、半年にわたりハードワークを続けていると、「父親からチームで練習する準備はできたか?」と聞かれたという。「バスティアトレーニングを開始し、そこからすべてが始まったんだ」と述べ、必死にサッカーを続けた結果、つかみ取った成功へのチャンスだったと語った。現在は輝かしい成功を遂げたオーバメヤンだが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったようだ。(Football ZONE web編集部)

アーセナルのFWオーバメヤン【写真:Getty Images】


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