(出典 www.soccer-king.jp)



キリンチャレンジ杯のエルサルバドル戦は、期待のルーキー久保建英18歳と5日で代表デビューを飾り、華麗なステップでマーカーをかわしてシュートを放ったり、フリックで好機を演出したりするなど3万8千人の観衆を沸かせた。

しかし2ゴールを決めて令和初勝利に貢献したのは、FC東京チームメイトである永井謙佑だった。鈴木武蔵の負傷により追加招集された永井は「まさか呼ばれるとは思っていなかった、ぶっちゃけ」と想定外の選出だったことに驚きを隠さない。

ただ森保一監督も「練習から(攻撃の)起点になるプレーにトライして顔を出し、最大の特長であるスピードを生かして裏に抜けるプレーなどを整理し、ミックスして勝利に貢献してくれた」と賞賛した。

永井といえば、アンダーカテゴリーでは各年代の代表に招集され、10年のアジア大会では優勝し、12年ロンドン五輪でもベスト4進出に貢献した韋駄天ストライカーである。しかし、その後は日本代表に定着することはできず、A代表は6試合の出場にとどまっていた。

J1リーグでは、6シーズン過ごした名古屋に別れを告げ、17年にFC東京に移籍。しかし同年は30試合に出場したものの1ゴールにとどまっていた。そんな永井を再生したのが長谷川健太監督だった。

それまでの永井は4-4-2の右サイドハーフで起用されることが多かった。しかし長谷川監督は永井を2トップにコンバートすると、「シュートで終われ」と言い続けた。長谷川監督によると、「それまでサイドで起用されることが多かったため、シュートではなくクロスを選択する癖がついていた。もともと永井はストライカータイプの選手」というのがコンバートの理由だった。

アドバイスのおかげもあって、18年の永井は32試合に出場して5ゴールマーク。そして今シーズンも14試合に出場し3ゴールを記録している。DF陣が相手のプレスにパスをつなげなくても、アバウトに前線のスペースに蹴っておけば、永井は快足を飛ばしてマイボールにしてくれる。そして攻撃だけでなく、俊足を生かした前線からのプレスにより守備でも貢献。チームの首位躍進に貢献していることが評価されて今回の追加招集に結びついたのだろう。

同じように長谷川監督のアドバイスによりプレーが変わったのが、トリニダード・トバゴ戦とエルサルバドル戦で交代出場を果たした室屋成である。

シーズンの序盤は岡崎慎(現在はトゥーロン国際大会に参加)に右SBのポジションを奪われることもあった。「パスをつけるのが上手い」(長谷川監督)というのがその理由だったが、一方の室屋には「がんがん前に行け。それが持ち味なんだから」という言葉をかけた。

この一言により室屋も迷いが吹っ切れ、アグレッシブプレーレギュラーポジションを確保。森保ジャパンでも右SBのバックアッパーとして欠かせない存在になっている。

室屋に加え、3月のキリンチャレンジ杯では橋本拳人が追加招集で代表に名を連ね、6月は久保と永井が代表入りした。彼らに加え長友佑都、権田修一、中島翔哉も元FC東京である。日本代表FC東京化が進んでいると言ってもいいだろう。


【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグ日本代表をはじめ、W杯やユーロコパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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