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『Gazzetta dello Sport』は20日、ゼニト・サンクトペテルブルクに所属している元イタリア代表MFクラウディオ・マルキージオのインタビューを掲載した。

ユヴェントスで400試合以上に出場した名ボランチのマルキージオ。イケメンとしても有名だった彼であるが、2016年の怪我以降は出番が減少し、昨年夏に契約が解除されている。

その後フリーロシアリーグゼニト・サンクトペテルブルクに移籍。第7節のオレンブルグ戦でデビューし、前半戦で9試合に出場し、2ゴールを決めている。

彼はユヴェントスを離れた際のことについて以下のように話すとともに、ミランからの誘いを2度断ったというエピソードを明かした。

クラウディオ・マルキージオ

「僕の冒険はフィニッシュラインを迎えていたが、移籍マーケットが閉じたら残ることになるだろうと思った。

しかしクラブは僕の契約を解除することを決めた。僕にとって簡単ではなかったけど、チームを変えたいと思った。

後から考えれば、中盤には多くの怪我人がいたから、それなりにポジションはあっただろうと言えるけどね。

とはいえ、あそこに残ることは間違いになったと思う。最後のシーズンのようなことが1年間続く可能性があったと考えるとね。

2016年にはひどい膝の怪我を負ってしまったが、それからはフィジカル的な問題を抱えたことはなかった。いくつかチャンスを得られることを臨んでいたが、常に僕は個人よりもグループを重要視する」
「僕は全力を尽くしたし、ユヴェントスもたくさんの見返りをくれたよ。後悔はないんだ。サッカーにおいても、仕事や恋愛と同じように、いろいろな終わり方があるものさ。

結局のところ、自分に配られたカードを見れば本当にラッキーだったと思うよ。

2回のチャンピオンズリーグ決勝を戦った。1回のEURO決勝を戦った。全部負けてしまったけどね。しかし7回のスクデットを獲得できたことは本当に嬉しい。

アンドレア・アニェッリ(会長)と最初の契約を結んだときのことを覚えているよ。その年は7位でフィニッシュした。

『あなたが何も勝ち取れない会長になりたくないように、僕も何も勝ち取らずに終わるユヴェンティーノになりたくない』と話した。

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「僕はミランからの誘いを2回拒否したんだ。その他にも多くのオファーが舞いこんできていた。しかし、他のイタリアクラブに行くことは絶対にない。

ユヴェントスを除けば、自分にとって最も重要なクラブミランだった。ただ、僕は他のイタリアクラブには絶対行かないんだ」
ユヴェントス以外には行けなかった…マルキージオ、退団時のエピソードを告白


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