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 監督は自らが理想とするコンセプトとともにチームを作り上げる。ロシアワールドカップ終了後、日本代表指揮官となった森保一監督は、「ロシア組と新世代の融合」「全員攻撃・全員守備」といったコンセプトを掲げてチーム作りを行ってきた。先日のAFCアジアカップUAE2019は惜しくも準優勝に終わったが、2022年カタールW杯を見据えたチーム作りの真っ只中だ。3月、日本代表キリンチャレンジカップ2019でコロンビア代表(22日)、ボリビア代表(26日)との2連戦に挑む。6月に開催されるコパ・アメリカや、今秋に開幕する2022年カタールワールドカップ アジア予選を見据えたチーム作りが始まろうとしている。

 過去の代表監督たちもそれぞれが独自のコンセプトを掲げ、個性豊かなチームを作ってきた。中でもイビチャ・オシム氏は「特異な存在」だった。独特の表現を交えた語り口で選手を導き、日本代表の“日本化”を目指していた。当時の日本代表はどのようなチームで、選手は何を思い試合に臨んでいたのか。かつて浦和レッズに所属し、日本代表としてアジアカップにも出場した鈴木啓太氏が“オシムジャパン”について語ってくれた。

◆「“ゴールデンエイジ”がいないことが不思議だった」

“人もボールも動くサッカー”、2006年から日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏は、自らのコンセプトをそう表現した。体格やフィジカルで劣る日本人が世界で勝つためには、足下の技術に加えスタミナや判断力を駆使して常に優位な状況を作り出さなければならないという。オシム氏は2003年からジェフユナイテッド千葉を率いると、コンセプトチームに浸透させ、飛躍的な成長に導いた。2005年にはヤマザキナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を制して、チームに初タイトルをもたらした。そして、ジェフ千葉を強化したのと同じ方法で、日本代表を世界と渡り合えるチームにしようと考えていた。

 新生日本代表の初陣は2006年8月の国際親善試合、トリニダード・トバゴ代表との一戦だった。ドイツW杯後最初の代表戦、注目された新メンバーには“オシム色”豊かな面々が名を連ねた。ドイツW杯を経験した選手は川口能活や三都主アレサンドロら4名のみ。代表歴が浅い選手や初招集組が大半を占めていた。鈴木啓太氏は追加招集という形で日本代表に初選出された。

2006年 トリニダード・トバゴ戦の招集メンバー

※()内は当時の所属クラブ

▼GK
川口能活ジュビロ磐田
山岸範宏(浦和レッズ
▼DF
三都主アレサンドロ(浦和レッズ
坪井慶介(浦和レッズ
田中マルクス闘莉王浦和レッズ
駒野友一(サンフレッチェ広島
▼MF
田中隼磨(横浜F・マリノス
今野泰幸FC東京
小林大悟(大宮アルディージャ
長谷部誠浦和レッズ
▼FW
我那覇和樹(川崎フロンターレ
佐藤寿人サンフレッチェ広島
田中達也浦和レッズ

《追加招集》
▼DF
栗原勇蔵(横浜F・マリノス
青山直晃(清水エスパルス
▼MF
中村直志(名古屋グランパス
鈴木啓太(浦和レッズ
山瀬功治横浜F・マリノス
▼FW 
坂田大輔(横浜F・マリノス

※「A3 チャンピオンズカップ2006」に参加していたガンバ大阪ジェフ千葉の所属選手は招集外となった。

 鈴木氏は当時、自身が日本代表に呼ばれることなど全く予期していなかったようで、「オフだったので、知り合いに会う予定を入れていた。そしたら、(浦和レッズの)強化部長からいきなり連絡が来て、『明日から千葉に行ってくれ』って言われました(笑)」と、予定をキャンセルして、翌日から代表合宿が行われる千葉県に向かった。

 また、当時の顔ぶれを見て、「“ゴールデンエイジ”がいなかったことがすごく不思議でした。僕たちの年代からすると、ずっと追いかけてきた“高い壁”みたいな人たちだった。『そんな人たちがいない代表って?』って感じでした」と話した。海外組は0人。それまで国際大会で主力を担ってきた国内組も少なく、オシム氏は自らが理想とするチーム作りと同時に世代交代にも着手していた。

◆正解が分からないオシムサッカー

 新チームスタートから“オシム流”は全開だった。

 オシム氏はジェフ千葉の監督を務めていたが、鈴木氏と“選手と監督の関係”になるのは初めてだった。こうした場合、選手1人ひとりと挨拶を交わす監督が多いが、「いや、何も言われなかったですよ」と、特に個別の会話などはなかったという。いきなり前例を覆すようなスタートを切ると、トレーニングにも独自のカラーを出した。

「オシムさんの場合、『正解』というのが分からなかったです。『試合中に決まっていることなんてないだろ』みたいな。相手にも戦術やポジショニングはあるけど、その通り仕掛けてくるとは限らない。だから、『お前たち、試合の中で考えろ』と。色々な状況に対応できるようになるために、変わったトレーニングも取り入れたんだと思います」

“人もボールも動くサッカー”とは、“考え、走りながらプレーをすること”だと鈴木氏は話す。試合中目まぐるしく入れ替わるありとあらゆる状況に対応するために、練習から多くのことを考えなければならなかった。鈴木氏が言う「変わったトレーニング」の1つが、ポジションごとに違う色のビブスを使ったボール回しだ。3色以上のビブスで選手を識別し、加えて様々な状況を想定してパスをつなぐ。一風変わったトレーニングは大きな話題となった。中には慣れないプレーに戸惑う選手もいたが、全ては“考える”ことを身に付けるためだったいう。

「『こう攻めてくるかもよ。でも、攻めてこないかもね』って言うこともあって、どっちだよ!?って思うこともありました(笑)。今思えば、『色々なことを想定しなさい』って言われていたんでしょうね。だから、“考えながら動くサッカー”ということです」

◆「何でスパイクを履いていないんだ!?」

「監督がやりたいサッカーイメージは伝わってくるけど、『できていないな』って思うことの方が多かったですね。僕はジェフの選手によく聞いてました。『こういうときどう動けば良いの?』って」

 指揮官が思い描く画を体現することは難しかった。ただ、「プレーしていて『悪くないな』って感触でした」と楽しさを感じることも多かったと鈴木氏は振り返る。その感覚の表れか、代表でもコンスタントに出場機会を与えられ、ボランチの一角としてチームの屋台骨を支えた。ちなみに、先発メンバーの発表もかなり独特だったようで、「ホテルのミーティングでは先発メンバーが発表されなくて、ロッカールームで着替えているときに大熊さんから肩をポンポンって叩かれて、『お前、今日先発な!』って。だから、ロッカーで肩を叩かれたら先発なんだなぁって思ってた(笑)」と、オシム氏からではなく、当時の日本代表コーチを務めていた大熊清氏から伝えられたという。

 2007年、オシムジャパン初の公式戦となるアジアカップを迎えた。メンバーに名を連ねたのは、阿部勇樹、巻誠一郎、羽生直剛らオシム氏のジェフ千葉時代の教え子や、ヨーロッパで活躍していた中村俊輔高原直泰だった。

2007年アジアカップの招集メンバー

※()内は当時の所属クラブ

▼GK
1.川口能活ジュビロ磐田
18.楢崎正剛名古屋グランパス
23.川島永嗣川崎フロンターレ
▼DF
3.駒野友一(サンフレッチェ広島
5.坪井慶介(浦和レッズ
21.加地亮(ガンバ大阪
22.中澤佑二横浜F・マリノス
▼MF
2.今野泰幸FC東京
6.阿部勇樹(浦和レッズ
7.遠藤保仁ガンバ大阪
8.羽生直剛(ジェフ千葉
9.山岸智(ジェフ千葉
10.中村俊輔セルティック/スコットランド
13.鈴木啓太(浦和レッズ
14.中村憲剛川崎フロンターレ
15.水野晃樹(ジェフ千葉
24.橋本英郎(ガンバ大阪
28.太田吉彰(ジュビロ磐田
29.伊野波雅彦(FC東京
▼FW
11.佐藤寿人サンフレッチェ広島
12.巻誠一郎(ジェフ千葉
19.高原直泰フランクフルトドイツ
20.矢野貴章アルビレックス新潟


 鈴木氏はレギュラーとして全6試合に出場した。優勝は逃したが、ドイツW杯で敗れたオーストラリア代表に勝利するなど、“オシム流”は着々と成長の芽を覗かせていた。また、当時の印象的なエピソードを聞いてみると、試合翌日のことを挙げてくれた

「オシムさんは普通に選手を休ませるということをほとんどしてこなかった。アジアカップのときも、試合の次の日にランニングシューズでリカバリーしようとしたら、『お前たちは何をしているんだ!? サッカー選手なのに何でスパイクを履いていないんだ!?』っていきなり怒り出して、全員でスパイクを履いてフィジカルトレーニングをやりました(笑) これこそ『オシムサッカーだな!』って思います。何を言いたいかというと、『思考を止めるな』ってことだと思います。例えば、『明日これが起きる』とか『明日はこうなる』って想定してしまうと、思考が止まるじゃないですか。だから、『試合の翌日はダウンする』ということがルーティンになってしまったら思考が止まる。それも成長過程の一環としてやったのかもしれませんね。オシムさんしか知らないことですけど(笑)

もしも、オシムジャパンワールドカップに出場していたら…

“日本化”されたサッカーは、今では語り草となっている。オシム氏は2007年11月脳梗塞を患い体調が悪化。志半ばで代表監督の座を降りることとなった。

「手応えはなかったですよね。手応えを感じたのはオーストリアスイスと対戦した欧州遠征と最後の試合になったエジプト戦ですね。それくらいになってようやく『チームっぽくなってきな』とか『こういう感じか!』っていうのが出てきました。アジアカップのときは『表現できていないな』って感じ」と、鈴木氏も手応えをつかむには至らなかった。それでも、勤勉で、運動量が豊富で、足下の技術に長けた選手が考えながら動きパスワークを展開する……。世界と戦うため日本人の特徴を活かしたオシム流を支持するサポーターは今も後を絶たない。中には「オシムジャパンとして2010年南アフリカW杯に出場してほしかった」という声も挙がるほどだ。

 最後に、『オシムジャパンとしてワールドカップに出場していたら、世界と渡り合えたか?』と質問してみた。すると、「答えようがないですよね(笑)」と前置きした上で、「楽しみではあったし、もしかしたら面白いサッカーができたかもしれない。オシムさんが仮に2010年まで監督を続けていたら見てみたい。でも、やっぱり分からないですね(笑)」と笑って答えてくれた。

インタビュー・文=加藤聡


[写真]=Getty Images


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