順調な船出をした森保ジャパンに新星が現れた。日本が初めてW杯に出場した’98年に生まれた20歳は、東京五輪、カタールW杯と新たな歴史を刻む。
◆10代で海外移籍。恐れを知らぬ物言いの“マラドーアン”
コスタリカ代表戦(9月11日、大阪・吹田)に3-0と快勝し、森保一監督(50歳)就任後の初陣を白星で飾ったサッカー日本代表。そのコスタリカ戦のベンチに座った22人のうち、ロシアW杯を経験していた選手はわずか4人だった。東京五輪世代(’97年1月1日以降に生まれた選手)3人を含む7選手を初招集した新生・日本代表は指揮官の狙い通りに若手が躍動し、これ以上ないスタートを切った。
なかでもひと際注目を集めていた選手といえば、昨季オランダ1部リーグのフローニンゲンで29試合出場9ゴールと結果を出した堂安律(20歳)だろう。日本人選手がヨーロッパでプレーすることが珍しくなくなった現在でも、10代で海外移籍し、成功した例はほとんどない。だが、昨夏、ガンバ大阪からオランダ北部のスモールクラブへ移籍したレフティーは、キレのいいドリブルや積極果敢なプレーを武器に1年目から不動の地位を確立。森保ジャパンの初陣に最年少でスタメン起用されただけではなく、その森保監督が兼任監督を務める2020年東京五輪のエース候補として大きな期待がかかっているのだ。
コスタリカ戦では、’16年リオ五輪に出場した中島翔哉(24歳、ポルティモネンセ)と南野拓実(23歳、ザルツブルク)とともに攻撃的MFとして先発し、右サイドで85分までプレー。前半は緊張感からか守備に追われる場面もあったが、後半になると随所に持ち味を発揮。ゴールこそなかったものの、今後が楽しみなことを印象づけた。
「自分の特長でもあるゴールという結果が出せなかったのは反省点ですが、チャンスは2本くらいありましたし、ラスト20分くらいは視野も広がり“ゾーン”に入っているような感覚もあって、言い方は悪いですが、相手をおちょくるようなプレーもできました。85分もプレーできるとは思っていなかったですし、楽しかったです」
◆ゴールに入れる前にパフォーマンスを考えた
堂々としたプレー同様、初代表を「楽しめた」と話すあたりに大物感を漂わせる堂安。そして、オープンな性格とともに20歳とは思えないコメント力にも舌を巻く。
コスタリカ戦の59分にGKと1対1となり、左足で放ったシュートがGKの腕をかすめラインぎりぎりで相手DFのクリアに遭ったシーンがあったが、その場面について試合後の取材エリアで聞かれるとこんなふうに答えていた。
「あそこはGKが倒れると思ったので、チョンって(浮かして)観客が黙ってシーンってした中でゴールに入っていくイメージだったんですけれど……。(ゴールに入れる前に)パフォーマンスを考えてしまいました(笑)」
決め損なったゴールも笑い飛ばせるところに、堂安の可能性を感じたのは気のせいではないだろう。
ジュニアユース時代から頭角を現し、’15年にG大阪史上最年少の16歳11か月18日でJ1デビューを飾った堂安だが、サッカーファンに広くその名が知られたのは昨年韓国で行われたU-20W杯だった。その大会で4試合3ゴールとチームをけん引し、イタリア戦では4人抜きのスーパーゴールを含む2得点の活躍。結果的にそれがオランダへの移籍を後押しする形となったが、すべてはイメージ通りだったと話す。
「あのタイミング(での海外移籍)を狙っていましたから。本当はその1年前にも(オランダの名門)PSVからオファーがあって、オレは行く気満々だったのにクラブ間で合意しなかったんです。だからU-20W杯後には絶対に海外に行きたいと周囲にも言ってました。そしたら、それが叶うわけですから、思っていることは口に出してみるものだと感じましたね(笑)」
国際大会への出場が移籍に拍車をかけたわけだが、もともと海外志向は強かったのだろうか。
「それは自然とですかね。基本的には負けず嫌いですから。サッカー選手として一番になるためにどこに行くべきか、それを考えたら少しでも早く海外に出ないとダメだなってなったんです」
そのU-20W杯では海外メディアから「日本のメッシ」と称賛された堂安だが、実はサッカーファンの間では「マラドーアン」という愛称をつけられるほど。「マラドーアン」とは文字通り、サッカー界のレジェンド「マラドーナ(メッシと同じアルゼンチンの英雄)」と「堂安」を掛け合わせた造語だが、左利きの堂安のパスやドリブル、シュートのリズムが、メッシよりもマラドーナに似ていることからつけられた呼び名である。
「よくマラドーナに似ているって言われるんです。メッシは鮮やかすぎですが、マラドーナって突進するイメージがあるじゃないですか。オレもそんなに滑らかじゃないし、どちらかと言えば体を使ってグイグイいく感じですから」
◆「CL出場はホンマの夢」ビッグクラブへの思い
昨季はフローニンゲンで9ゴールを挙げ、ファンが選ぶクラブの年間MVPにも選ばれた。当初はガンバ大阪からの期限付き移籍で、不発に終われば日本に出戻りの可能性もあったが、結果を出したことで今夏に3年の正式契約を勝ち取った。ただ、いつまでもオランダにとどまるつもりはないと言う。
「チャンスがあれば英・プレミアリーグに行ってみたいですが、移籍はタイミングもあるし、その時にならないとどうなるかはわからないです。でも、東京五輪の頃にはUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)に出られるようなクラブに行けたらとは思います。CLはオレのホンマの夢。アンセム聴いたらどんだけ興奮するんやろ……」
小学生の頃から地上波でも放送があったCL決勝だけは現地時間に合わせ、朝3時45分にアラームをかけ、テレビにかじりつくように見ていたと振り返る。
「オトンもオカンも家族みんな、オレがサッカー大好きなことを知っていたので、キックオフに合わせて起こしてもらって。試合が終わるのは朝6時ごろ。そこから少し寝ちゃうので、その日は必ず学校に遅刻していました。でも、そこだけは両親も大目に見てくれていました(苦笑)」
時に大胆な発言をするものの、自身の性格を「ヘタレで不安性」だと分析する堂安。
「不安をかき消すために何かを言ったりしている部分もあるのかもしれないですね。たとえばオランダで結果を出したといっても、香川真司選手はドイツ1年目で(カップ戦を含め)10点取っていました。そうなると大丈夫かなと思うし、同い年のフランス代表のムバッペ(パリ・サンジェルマン)なんて、背番号10つけて、フランス代表としてロシアW杯で優勝していますから。上にはすごい選手がたくさんいます。でも、オレはそうして他人と比べることで頑張れるんです」
ともに関西出身、同じレフティー、海外での出発点がオランダだという共通点もあってか、W杯を最後に日本代表から引退を表明した本田圭佑(32歳、メルボルン・ビクトリー)の後継者としても堂安に期待する声は多い。もちろん、スタイルや性格はそれぞれで、誰かに誰かを重ね合わせることに意味はない。だが、チームへの貢献度、話題性という点で考えれば、堂安が2年を切った東京五輪、4年後のカタールW杯に向け動きだした森保ジャパンの主役に躍り出たとしても決して驚きではない。
【堂安律】’98年6月16日、兵庫県尼崎市生まれ。G大阪の下部組織で育ち、’15年にトップチームでデビュー。’17年5月のU-20W杯で活躍し、同年7月にオランダのフローニンゲンへ移籍。172cm、70kg
<取材・文/栗原正夫 撮影/ヤナガワゴーッ!>
(出典 news.nicovideo.jp)
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